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'''中川 ひろたか'''(なかがわ -、[[1954年]][[2月14日]]<ref name=naka305>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』305頁。</ref> - )は日本の[[絵本作家|絵本ライター]]、[[シンガーソングライター]]。[[埼玉県]][[大宮市]](現:[[さいたま市]])出身。愛称は'''ピーマン'''
 
== 来歴愛称について ==
愛称は'''ピーマン'''。[[保育士]]時代につけられた。本来は「ピーナツ」だったが、保育園の園児に「ピーナツのあだ名」としてつけられた名前がそのまま定着した。なお「ピーナツ」は、保育園であだ名が必要になったときに、[[大学生]]時代に甥からつけられた名前を名乗ったのがきっかけである<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』8-10頁。</ref>。
*[[保育士]]、[[バンド (音楽)|バンド]]活動を経て、[[1995年]]に絵本作家デビュー。作品は[[小学校]]の[[国語]]・[[音楽]]の[[教科書]]にも採用されている。
 
== 来歴 ==
*[[さいたま市立大成小学校|大宮市立大成小学校]]、[[さいたま市立大成中学校|大宮市立大成中学校]]、[[埼玉県立春日部高等学校]]を卒業後、一浪を経て[[1973年]]に[[上智大学]]法学部に入学。[[1976年]]3月に大学3年生で中退<ref name=naka305 />。
*その後、千早子どもの家[[保育園]]にて保育士としての活動を始め、[[1981年]]3月に保育園を退職<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』86頁。</ref>。
*[[1979年]]7月、初の著作『あそびうたがいっぱい』([[湯浅とんぼ]]+中川ひろたか、[[ばるん舎]])を刊行<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』307頁。</ref>、保育集会「合研」を通して全国の保育園に広まる<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』82頁。</ref>。
*[[1994年]]、『[[こどもちゃれんじ]]・ぽけっと』11月号掲載の「さつまのおいも」で絵本作家デビュー<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』234-240頁。</ref>。「さつまのおいも」は1995年6月に書籍化され、2週間で再販、3か月で1万5000部を売り上げるヒットとなった<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』256頁、313頁。</ref>。
*作品は[[小学校]]の[[国語]]・[[音楽]]の[[教科書]]、幼児向け番組『[[ママとあそぼう!ピンポンパン]]』『[[ひらけ!ポンキッキ]]』『[[おかあさんといっしょ]]』にも採用されている。
*D1(だじゃれグランプリ)を考案。『D1のすすめ』という解説DVDも作って配布している。全国の小学生を中心に、地道に広がっている。
*A1(あそびうたグランプリ)を考案。子供も、子供を取り囲む大人たちも一緒になって、歌って遊んで楽しめるオリジナルのあそび歌の日本一を決めちゃおう、という元気な大会。
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=== 音楽活動 ===
*[[1979年]]10月、[[バンド (音楽)|バンド]]「こどもどあーず」([[三輪まさかつ]]、[[桂牧]]と3人組)を結成<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』72-73頁、307頁。</ref>。[[1980年]][[2月9日]]には初コンサートを実施する<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』83頁。</ref>が、中川のソロ活動や三輪の死により自然消滅する。
*過去には「ノボ&ピーマン」([[福尾野歩]]と2人組)、それを発展させた「トラや帽子店」(福尾野歩・[[増田裕子]]と3人組。[[1987年]]〜[[2000年]])などのユニットを結成していた。
*[[1983年]]5月、初の[[コンパクトカセット|カセット]]作品『あそびうたがいっぱい』(湯浅とんぼ+中川ひろたか)をレコーディング<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』96頁。</ref>。同年7月に発売<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』307頁。</ref>。
*[[1985年]]11月にユニット「ノボ&ピーマン」([[福尾野歩]]と2人組)を結成<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』309頁。</ref>。後述の「トラや帽子店」に発展的解消する。
*[[1987年]]、バンド「トラや帽子店」(福尾野歩・[[増田裕子]]と3人組)を結成<ref>[[1986年]]夏に[[渋谷生協会館]]で開催された「幼児と音楽セミナー」にノボ&ピーマンが出演した際、たまたま増田裕子と出合ったことがきっかけで結成された。『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』138-139頁。</ref>。バンド名は、福尾の実家の「トラヤ帽子店」にちなみ、中川が命名した<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』140頁。</ref>。同年[[1月13日]]、かつしか学園でライブデビュー<ref name=naka140>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』142頁。</ref>。[[1988年]]7月、初のアルバム(カセット)『世界中のこどもたちが』(トラや帽子店+新沢としひこ)を発売<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』180頁、308-309頁。</ref>。[[1997年]]8月に『[[題名のない音楽会]]』に出演<ref name=naka313>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』313頁。</ref>。[[1998年]][[4月1日]]の[[仙台市|仙台]]でのコンサートを最後に休業を宣言(事実上の解散)<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』270-271頁、274頁。</ref>。[[2000年]]4月に正式解散した<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』294頁。</ref>。休業宣言までに開催したコンサートは1059回、発売した関連CDは28枚に及んだ<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』272頁。</ref>。
*[[1991年]]、ユニット「下中商会」([[下畑薫]]と2人組)を結成。同年1月に初ライブを行う<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』212-214頁。</ref>。
*[[1999年]]、絵本作家・イラストレーター仲間による3ピースバンド「Beat Bang Boys」を結成。同年[[2月14日]]、コンサートデビュー。同年12月、初CD『コロガルニホンゴ』を発売。[[2000年]]9月解散<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』283-284頁。</ref>。
*現在はソロでの音楽活動もあるが、[[コンサート]]等では[[新沢としひこ]]、[[ケロポンズ]]、[[谷口國博]]、[[大友剛]]、[[鈴木翼]]らとの共演も少なくない。
*また、[[2004年]]7月に『マジスカ軽音楽同好会』を結成し2枚のアルバムを発売。
*2009年に、[[大友剛]](P.Vo)、[[松本野々歩|野々歩]](Vo)、中川ひろたか(G.Vo)の新ユニット、ON'S(オンス)を結成し、2010年7月に1stアルバム『輪になって』が発売された。精力的なライブ活動を行っている。
 
=== テレビ番組への楽曲採用 ===
*1981年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列『ママとあそぼう!ピンポンパン』で「おーい かばくん」「ペンギンの3つのひみつ」の2曲が放送される。続いて「かいじゅうのこんだて」「なめくじ」が放送されることも決まっていたが、フジテレビ社内の人事異動により、中川作品を推していたスタッフが軒並み『ピンポンパン』から離れたため実現しなかった<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』89-92頁。</ref>。
*1988年〜1990年に、フジテレビ系列『ひらけ!ポンキッキ』で「みんなともだち」「おーい かばくん」「メロンにきいてもわからない」が放送される。これは1981年当時『ピンポンパン』で中川作品を推していたスタッフの一人である[[藤田洋一]]ディレクターが1987年に『ひらけ!ポンキッキ』の担当へ異動したことがきっかけである<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』166-170頁。</ref>。
 
== 主な作品 ==
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===自叙伝===
*中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年([[旬報社]]絵・[[ささめやゆき]]、[[2003年]])ISBN 4-8451-0802-X
 
=== 楽曲 ===
;作詞
*5つのメロンパン(原曲:イギリス民謡「Five Currant Buns」、1977年
**中川が「子どもの遊び研究会」に参加していた当時、[[湯浅とんぼ]]からElizabeth Matterson著"Games for the Very Young"を渡され、その中に収録されていた「Five Currant Buns」を日本語に訳したもの。原詞に登場するパンを[[メロンパン]]だと解釈して訳詞した(もちろん、原詞に「メロンパン」という言葉は出てこない)。中川は当時、イギリスにメロンパンがないことを知らなかった。21世紀初頭現在、一般的に歌われているバージョンでは、歌の途中におばさんと子供の台詞が入るが、原曲や中川のオリジナル訳詞にはない<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』66-67頁。</ref>。
;作曲
*いっぽんばし にほんばし(作詞:[[湯浅とんぼ]]、1978年4月16日作曲<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』21頁。</ref>
*おーい かばくん(作詞:[[中川いつこ]]。1981年『ママとあそぼう!ピンポンパン』。1989年『ひらけ!ポンキッキ』
*おしりフリフリ(作詞:[[のぶみ]])
*世界中のこどもたちが(作詞:[[新沢としひこ]])
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;作詞・作曲
*たちねぶた音頭(絵本『たちねぶたくん』イメージソング)
*だじゃれだゾ〜(『[[おかあさんといっしょ]]』2008年2月の歌)
*みんなともだち(『ひらけ!ポンキッキ』1989年3月の歌)
**1986年発行の楽譜集『とんぼ・ピーマンのカレンダーソング - オリジナル12か月のうた』(全国社会福祉協議会)に掲載された曲。歌詞の一部をテレビ用に変更され、『ひらけ!ポンキッキ』に採用された<ref>『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』92頁。</ref>。ディレクター
 
== テレビ出演 ==
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== ラジオ出演 ==
*中川ひろたかのあぶずりモーニング([[湘南ビーチFM]])
 
== 脚注 ==
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==外部リンク==
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{{リダイレクトの所属カテゴリ
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[[Category:1954年生]]
[[Category:存命人物]]