「横井也有」の版間の差分

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[[宝暦]]4年([[1754年]])、53歳にして病を理由に隠居した後は、前津(現在の[[中区 (名古屋市)|中区]]前津1丁目)の草庵・知雨亭に移り住み、天明3年(1783年)に82歳で没するまで、俳文、[[漢詩]]、[[和歌]]、[[狂歌]]、[[茶道]]などに親しむ風流人として暮らした。
 
==横井也有と大田南畝==
也有の『[[鶉衣]]』は[[大田南畝]]により刊行されているが、その経緯について南畝は鶉衣の序文に記している。[[安永]]の初め頃、たまたま長楽寺に立ち寄った南畝はそこで也有の「借物の弁」を目にし、「余りに面白ければ写し帰」ったという。それ以降、[[尾張]]出身者に会う度に也有のことを尋ね、漸くその著作を目にする機会が訪れたが、その時すでに也有は亡くなっていた。南畝は也有の作品がこのまま埋もれてしまうのは惜しいと思い、刊行することとした。こうして『鶉衣』が世に出ることになったのである。
 
==著作==