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==横井也有と大田南畝==
也有の『[[鶉衣]]』は[[大田南畝]]により刊行されているが、その経緯について南畝は鶉衣の序文に記している。[[安永]]の初め頃、たまたま長楽寺に立ち寄った南畝はそこで也有の「借物の弁」を目にし、「余りに面白ければ写し帰」ったという。それ以降、[[尾張]]出身者に会う度に也有のことを尋ね、漸くその著作を目にする機会が訪れたが、その時すでに也有は亡くなっていた。南畝は也有の作品がこのまま埋もれてしまうのは惜しいと思い、自らの手で刊行することとした。こうして『鶉衣』が世に出ることになったのである。
 
==著作==