「第三次奴隷戦争」の版間の差分

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=== ローマ軍反撃 ===
スパルタクスらは再び南下し、当時ローマ最大の富豪でありプラエトルであった[[マルクス・リキニウス・クラッスス]]の指揮する2個軍団を打ち負かした。クラッススは敗走した一中隊を見せしめのために[[十分の一刑]]に処すことで漸く軍規を回復することが出来た有様であった。年末には、反乱軍は[[メッシーナ海峡]]の対岸、イタリア半島最南端の[[カラブリア]]地方の都市レギウム(現:[[レッジョ・ディ・カラブリア]])に行き着いた。[[キリキア]]の海賊の助力を得てシチリアに渡ろうとしたと推測されているが、ついに彼らの前に船団が現れることはなかった。もともと奴隷戦争と呼ばれる大規模な3つの大規模蜂起のうち2つはシチリアで起きており、スパルタクスがこの島を拠点にしようとしたことは大いに考えられる。
 
[[紀元前71年]]初頭、カラブリアに留まっていた反乱軍をクラッススの8個軍団が包囲した。また元老院はヒスパニアの[[グナエウス・ポンペイウス]]及びトラキアで戦っていた[[マルクス・テレンティウス・ウァロ・ルクッルス]](Marcus Terentius Varro Lucullus、[[ルキウス・リキニウス・ルクッルス]]の弟)にも本国に戻り鎮圧に加わるように決議した。スパルタクスはブルンディシウム(現:[[ブリンディシ]])へ逃れようとし、この包囲網の突破を試みた。