「減税日本」の版間の差分

== 党史 ==
=== 国政 ===
[[2011年]][[3月3日]]、民主党の[[佐藤夕子 (政治家)|佐藤夕子]]衆議院議員が名古屋市議会議員選挙で減税日本候補を応援するために民主党に離党届を提出<ref>[http://www.chunichi.co.jp/article/politics/news/CK2011030302000004.html 佐藤議員が民主離党 「減税」入り、市議選支援] CHUNICHI Web 2011年3月4日</ref>。5月13日に民主党離党届受理、5月18日に衆議院民主党会派離脱<ref>[http://www.asahi.com/politics/update/0513/TKY201105130258.html 民主、佐藤夕子氏の離党届受理 減税日本初の国会議員に]朝日新聞 2011年5月13日</ref>。[[2011年]][[4月24日]]、衆議院補欠選挙[[愛知県第6区]]で川村昌代を初の国政選挙に擁立したが落選
 
[[2011年]][[4月24日]]、衆議院補欠選挙[[愛知県第6区]]で川村昌代を初の国政選挙に擁立し、落選。
 
設立当初は自ら[[地域政党]]を名乗っていたが、後に名古屋市や[[愛知県]]の枠を超えて全国展開することを表明した。2011年8月28日、名古屋市のホテルで初の党大会を開いて綱領を発表し、
 
を基本政策に国政への進出を目指す方針を鮮明にした<ref>[http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110829k0000m040129000c.html 減税日本:「国政進出」方針を確認 初の党大会] 毎日新聞 2011年8月29日 2011年9月21日閲覧</ref>。
次期衆院選において愛知県、[[東京都]]などの選挙区で候補者を擁立を図るべく<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110828/elc11082820080000-n1.htm 衆院選は「愛知、東京で擁立」減税日本が初の党大会 ]産経ニュース 年8月28日 2011年9月21日閲覧</ref>、政治塾(河村たかし政治塾)を[[2012年]]3月より開講した。その後同年4月には東京、東北に開講。今後次期衆院選に100人前後を擁立する意向である。東京都平河町の砂防会館内に、全国展開の拠点となる事務所を開設し、次期衆院選に向け動きを加速ている。同年[[5月29日]]、年次総会を開催し新役員発表、規約倫理規則改訂を発表。同年[[6月4日]]、減税日本東京本部事務所設立を発表。同年6月6日、、[[東京都]][[千代田区]][[平河町]]の[[砂防会館]]東京本部事務所を開き、設。同年7月9日に設立記念パーティーを行い、次期衆議院選挙では愛知県内の全15選挙区に候補者を擁立する方針を明らかにした。
 
同年[[8月17日]]、河村は同月9日に民主党に離党届を提出した衆議院議員[[小林興起]]・[[小泉俊明]]の合流を発表した。小林は代表代行、小泉は幹事長に就任する。同月21日、佐藤夕子の[[衆議院]]1人[[会派]]「佐藤ゆうこ政策研究会」(ただし[[国会]]では会派は2人以上と定められているため、1人会派は「[[国会における各会派に対する立法事務費の交付に関する法律]]」の適用に限られており、国会内では会派に所属しない[[無所属]]議員として扱われる)を解消し、小泉・小林は佐藤とともに新会派「減税日本」を届け出る方針を示した。河村は政治団体である減税日本が次期衆院選までに[[政党]]要件を満たすため5人以上の所属[[国会議員]]の確保を目指しており、小林・小泉は河村の呼びかけに応じた。また河村は同年[[9月5日]]の総決起大会までに更に2名以上の国会議員を確保し政党化を実現するとともに、今後も結成が予想される新党や[[大阪維新の会]]などとの連携を進め、第三極形成を模索するという考えを示した<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120817/stt12081718170003-n1.htm 小林、小泉両議員の合流を正式表明 「減税日本」代表が会見]産経新聞 2012年8月17日</ref>。同年8月26日、河村は次期[[衆議院議員総選挙]]では[[愛知県]]・[[岐阜県]]・[[三重県]]・[[静岡県]]の[[東海地方]]4県全33小選挙区への候補者擁立を目指す方針を明らかにした<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/news/20120826-OYT1T00683.htm?from=popin 減税日本、東海4県の全選挙区で候補者擁立方針]読売新聞 2012年8月26日</ref>。河村は政党化を目指して10数名の民主党議員や民主党を離党した無所属議員に合流を呼びかけていたが、[[関西電力]][[大飯原子力発電所]]の再稼働に反対して民主党を離党した[[平智之]]が新会派参加に応じ、同年[[8月31日]]、衆議院に新会派「減税日本・平安」(4議席)を届け出た<ref>[減税日本、議員4人で衆院新会派結成 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120830-OYT1T01164.htm?from=popin]読売新聞 2012年8月30日</ref>。しかし9月5日の総決起大会までに予定していた人数の国会議員を確保することができず、同日に予定されていた平智之の党合流と政党化発表は見送られた。河村は同年[[9月7日]]に改めて政党化について発表するという予定を示していたが<ref>[減税、7日に政党化発表へ…新たに候補公募も
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/news/20120906-OYT1T00336.htm?from=popin]読売新聞 2012年9月6日</ref>、再び延期。[[民主党代表選挙]]の流動的な情勢が影響し、河村らが声をかけていた民主党議員の間に模様眺めの雰囲気が広がっているほか、連携をめぐり大阪維新の会との温度差が生じ、国会議員の確保が難航した<ref>[減税また政党化発表見送り…国会議員確保が難航 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120908-OYT1T00424.htm]読売新聞 2012年9月8日</ref>。同年9月9日、大阪維新の会は政党化に当たって党名を「[[日本維新の会 (政党)|日本維新の会]]」とすることを決定し、同年9月28日、政党として発足。これに先立つ9月24日、日本維新の会幹事長の[[大阪府知事]][[松井一郎]]は、理念や政策が大きく離れていることを理由に減税日本との連携・選挙協力はできないと表明、決別する意向を示した。減税日本との候補者調整についてはなお含みを残したものの、原則として全小選挙区に公認候補者を擁立する方針を強調し、減税日本が候補者を擁立する小選挙区にも対抗馬を立て、選挙で争う可能性についても言及した。松井は一方で、河村との関係が悪化し減税日本の政党化の動きに懐疑的な姿勢を示していた[[愛知県知事]][[大村秀章]]に対しては「ほぼ一緒の考え方」と述べ、大村が率いる「[[中京維新の会]]」と協議の上活動を共にし、東海地方での候補者擁立の支援を得たいとの希望を示した<ref>[http://www.asahi.com/politics/update/0924/OSK201209240081.html 日本維新、中京維新と連携模索 減税日本とは否定的][[朝日新聞デジタル]]2012年9月24日</ref>。ここに至って減税日本の政党化、他の新党との連携いずれも困難な状況となっている。同年10月7日、初の地方組織となる「減税日本ギフ」を[[岐阜県]][[岐阜市]]に設置した
 
同年9月9日、大阪維新の会は政党化に当たって党名を「[[日本維新の会 (政党)|日本維新の会]]」とすることを決定し、同年9月28日、政党として発足。これに先立つ9月24日、日本維新の会幹事長の[[大阪府知事]][[松井一郎]]は、理念や政策が大きく離れていることを理由に減税日本との連携・選挙協力はできないと表明、決別する意向を示した。減税日本との候補者調整についてはなお含みを残したものの、原則として全小選挙区に公認候補者を擁立する方針を強調し、減税日本が候補者を擁立する小選挙区にも対抗馬を立て、選挙で争う可能性についても言及した。松井は一方で、河村との関係が悪化し減税日本の政党化の動きに懐疑的な姿勢を示していた[[愛知県知事]][[大村秀章]]に対しては「ほぼ一緒の考え方」と述べ、大村が率いる「[[中京維新の会]]」と協議の上活動を共にし、東海地方での候補者擁立の支援を得たいとの希望を示した<ref>[http://www.asahi.com/politics/update/0924/OSK201209240081.html 日本維新、中京維新と連携模索 減税日本とは否定的][[朝日新聞デジタル]]2012年9月24日</ref>。ここに至って減税日本の政党化、他の新党との連携いずれも困難な状況となっている。同年10月7日、初の地方組織となる「減税日本ギフ」を[[岐阜県]][[岐阜市]]に設置した。
 
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