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== 経歴 ==
アマチュア時代から実力は折り紙つきで、東欧最大のステージレース、ピースレースなどで勝ち星を上げているほか、ソウルオリンピックでは5位に入っている。 1990年に旧ソ連選手で構成されたアルファ・ルムでデビュー。この年は勝利を挙げられなかったが、翌年はセミ・クラシックレース、[[ヘント〜ウェヴェルヘム]]で勝利。強豪スプリンターとしての名を上げた。 この勢いを駆って[[ツール・ド・フランス1991|ツール・ド・フランス]]では着実に区間優勝とポイントを重ね[[ポイント賞]]を獲得するが、[[ディミトリ・コニシェフ]]と争った[[シャンゼリゼ通り (ツール・ド・フランス)|シャンゼリゼ]]のゴールスプリントで斜行し、道路脇に設置されていた広告用モニュメントに激突して転倒。後続車にも次々に追突されそのまま入院<ref>残り1kmを切っての落車は集団最後尾と同タイムのゴールが認められているため、記録上は完走。</ref> するという事故を起こした。このトラブルで斜行、蛇行の暴走スプリンターという有難くないイメージがつくことになる。
 
 
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1994年は[[ジロ・デ・イタリア1994|ジロ・デ・イタリア]]にも出場し、区間優勝争いでは[[ヤン・スヴォラダ]]やエンドリオ・レオーニといったスプリンターの後塵を拝したもののコンスタントにポイントを稼ぎ、ポイント賞(マリア・チクラミーノ)とインテルジロ賞(マリア・アッズーラ)の両方を獲得した。
[[ツール・ド・フランス1994|ツール・ド・フランス]]ではこれまでの危険走行が鳴りを潜め、スマートなスプリントを徹底。<ref>最大のライバルと目されたチポリーニは欠場。ネリッセンと[[ローラン・ジャラベール]]は第1ステージのゴールスプリントで警官と激突する大事故を起こしリタイアと主だったライバルが戦う前から消えていった。</ref> 区間2勝と3度目のポイント賞に加え、フェアプレー賞をも獲得する大活躍を見せた。
 
 
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*1996年 ツール・ド・フランス区間1勝
 
 
== 脚注 ==
<references/>
== 外部リンク ==
* {{cycling archives|20|ジャモリディネ・アブドヤパロフ}}
 
<references/>
{{DEFAULTSORT:あふとやはろふ しやおりていね}}
[[Category:ウズベキスタンの自転車選手]]