「劉永 (蜀漢)」の版間の差分

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'''劉永'''(りゅうえい、[[210年]]?-?)は、[[三国時代 (中国)|三国時代]][[蜀]]の[[劉備]]の次男。[[字]]は'''公寿'''。[[劉禅]]の異母弟。[[字]]は'''公寿'''に同じ「公」が共通していることから、共に甘夫人を母とする同母弟の説もある)。孫に[[劉玄 (東晋)|劉玄]]、子の名は不明。
 
父が皇帝に即位すると、魯王に任命された。その後、甘陵王に改封された。兄の劉禅より聡明で、人望があったという。劉禅が[[宦官]]の[[黄皓]]を重用したとき、その悪政を憎んで諫言した。しかし、黄皓の讒言を信じた劉禅によって左遷され、面会すら許されない立場に追い込まれてしまった。
 
蜀滅亡後は[[洛陽]]に送還され、そこで奉車都尉・郷侯に任じられた。彼の没年は不明だが、かなり長生きし、天寿を全うとしたと思われる
 
ちなみに、[[永嘉]]年間の[[八王の乱]]に巻き込まれ劉永、彼の孫である[[劉玄]]以外は、安楽公[[劉恂]]を含めて劉備一族の末裔全て皆殺しにされた。
 
[[Category:三国志の登場人物|りゆうえい]]