「トッレ・アルジェンティーナ広場」の版間の差分

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[[イタリア統一運動]]後の1909年、ローマの部分的再建が決定され、アルジェンティーナ塔付近は取り壊すことになった。しかしその作業中の1927年、大理石像の大きな頭部と腕部が見つかった。考古学的調査により4つの神殿と[[ポンペイウス劇場]]の一部が見つかり、そこが共和政ローマ時代の「聖域」だったことが判明した。
 
[[ガイウス・ユリウス・カエサル|ユリウス・カエサル]]はポンペイウス劇場の敷地内で暗殺されたが、その場所はこの広場内にあると言われていたが、2012年10月10日、スペイン国立研究協議会の考古学チームによって、カエサルが暗殺された正確な位置を特定したと発表。後継者となったアウグストゥスが暗殺地点に建てさせた幅3メートル、高さ2メートルの構造物を発掘し、「この発見により、カエサルが元老院を主宰中に議事堂で刺されたことが確認された」としている<ref>{{Cite news |title= カエサルの暗殺地点を「特定」、スペイン考古学チーム |url= http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2906851/9663842 |publisher=AFPBB News |date=2012-10-11 |accessdate=2012-10-11}}</ref>
幅3メートル、高さ2メートルの構造物を発掘し、後継者となったアウグストゥスが暗殺地点に建てさせたもので、「この発見により、カエサルが元老院を主宰中に議事堂で刺されたことが確認された」としている。
 
== 神殿 ==