「減税日本」の版間の差分

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http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/news/20120906-OYT1T00336.htm?from=popin]読売新聞 2012年9月6日</ref>、再び延期。[[民主党代表選挙]]の流動的な情勢が影響し、河村らが声をかけていた民主党議員の間に模様眺めの雰囲気が広がったほか、連携をめぐり大阪維新の会との温度差が生じ、国会議員の確保が難航した<ref>[減税また政党化発表見送り…国会議員確保が難航 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120908-OYT1T00424.htm]読売新聞 2012年9月8日</ref>。
 
同年9月9日、大阪維新の会は政党化に当たって党名を「[[日本維新の会 (政党)|日本維新の会]]」とすることを決定し、同年9月28日、政党として発足。これに先立つ9月24日、日本維新の会幹事長の[[大阪府知事]][[松井一郎]]は、理念や政策が大きく離れていることを理由に減税日本との連携・選挙協力はできないと表明、決別する意向を示した。減税日本との候補者調整についてはなお含みを残したものの、原則として全小選挙区に公認候補者を擁立する方針を強調し、減税日本が候補者を擁立する小選挙区にも対抗馬を立て、選挙で争う可能性についても言及した。松井は一方で、河村との関係が悪化し減税日本の政党化の動きに懐疑的な姿勢を示していた[[愛知県知事]][[大村秀章]]に対しては「ほぼ一緒の考え方」と述べ、大村が率いる「[[中京維新の会]]」と協議の上活動を共にし、東海地方での候補者擁立の支援を得たいとの希望を示した<ref>[http://www.asahi.com/politics/update/0924/OSK201209240081.html 日本維新、中京維新と連携模索 減税日本とは否定的][[朝日新聞デジタル]]2012年9月24日</ref>。ここに至って減税日本の政党化、他の新党との連携いずれも困難な状況となっている。一方他の新党との連携とは別に次期衆院選に向けて公認候補の公募を行い、また政党化に合わせ複数の地域で地方支部の設立準備を進めており、同年10月7日、初の地方組織となる「減税日本ギフ」を[[岐阜県]][[岐阜市]]に設置した。
 
=== 名古屋市 ===