「NBC交響楽団」の版間の差分

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Salve Vale (会話 | 投稿記録)
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では、なぜNBCはさまざまな無理を重ねて交響楽団を持とうとしたのか。山田治生(2006)『トスカニーニ』(アルファベータ、pp. 217-221)には、その背景として「ラジオで音楽を楽しむ」という放送文化が当時発達途上であったという指摘がある。当然生じた局同士の競争で優位に立ち、ラジオ受信機・蓄音機・レコードの販売を促進する<ref>親会社RCAはもともと同社が製造・販売する放送受信機の販売促進のためにNBCを設立した(平凡社『世界大百科事典』第2版「RCA」の項)。また現在まで続くレコードレーベルも所有していた。</ref>という要請があったはずである。そこで、(トスカニーニへの敬意や愛情でなく)この競争を勝ち抜く戦略のひとつとして専属交響楽団の設立が企画され、ネームバリューのあったトスカニーニをひとつの有力な「駒」として起用したのだと推測される。Sachsは、「(以下要約)RCAはトスカニーニを“資産”であると見なしたが、彼の存在に社の将来がかかっているなどというばかげた考えをする者は社内にいなかった。むしろ、NBC響は費用対効果が悪く全面的に解体すべきであると考える取締役が多かった」と書いている。<ref>Sachsは「(芸術的レベルや到達度どころか)オーケストラ自体の行く末さえ、実権を握っている者たちにとってはほとんど価値のない事柄なのだということをトスカニーニは知った」とも書いている(p. 276)。</ref>。
 
事情が明らかになるにつれトスカニーニにも不満が募ってきたが、NBC響は巨大企業RCAの末端に過ぎず、要求を出そうにもそれを聞くべき理事会がそもそも存在しなかった<ref>通常はどのようなオーケストラにも、さまざまな決定を下す運営委員会や理事会が存在する。しかし「NBC交響楽団」は独立した団体でなく、RCAの子会社であるNBCの“社内事業”に過ぎなかったため理事会等はなかった</ref>Sachs(前掲書p. 276)によれば、トスカニーニはそれまで「気に入らないことがあれば要求を出し、それが受け入れられなければ去る」という態度で歌劇場やオーケストラと対峙してきたが、そのやり方は20世紀の米国の大企業には通用しなかったのである。
 
=== トスカニーニの初指揮 ===