「NBC交響楽団」の版間の差分
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事情が明らかになるにつれトスカニーニにも不満が募ってきたが、NBC響は巨大企業RCAの末端に過ぎず、要求を出そうにもそれを聞くべき理事会がそもそも存在しなかった<ref>通常はどのようなオーケストラにも、さまざまな決定を下す運営委員会や理事会が存在する。しかし「NBC交響楽団」は独立した団体でなく、RCAの子会社であるNBCの“社内事業”に過ぎなかったため理事会等はなかった。</ref>。トスカニーニはそれまで「気に入らないことがあれば要求を出し、それが受け入れられなければ去る」という態度で歌劇場やオーケストラと対峙してきたが、そのやり方は20世紀の米国の大企業には通用しなかった<ref>Sachs, H. (1978), p. 276</ref>。
山田治生は、「NBC響はトスカニーニのために用意されたオーケストラであったが、トスカニーニのオーケストラではなかった」「ある意味、NBC響は親会社であるRCAという大企業のアクセサリーに過ぎなかったともいえる。トスカニーニにしても、NBC響の音楽監督ではなく、人事権もなく<ref>1940年冬ファゴット奏者に欠員が生じたため、トスカニーニはウィーンフィルで活躍した旧知のフーゴー・ブルクハウザーHugo Burghauserを迎えようとしたが、チョチノフらは「トスカニーニに拒否権はあっても採用権はない」とブルクハウザーを断ったという。(Sachs前掲書p.275)</ref>、組織の中で確固としたポジションを持っているわけでもなかった」と述べている
=== トスカニーニの初指揮 ===
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