「ソコルル・メフメト・パシャ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
18行目:
[[1574年]]、[[チュニス]]攻略。同年、セリム2世没、[[ムラト3世]]即位。先代に引き続き無能な[[スルタン]]であり、ソコルル・メフメトは留任して国政を担う。
 
[[1578年]]、改めて[[カスピ海]]進出を企図し、今度は[[サファヴィー朝|サファヴィー朝ペルシャ]]に侵攻を開始するが、翌[[1579年]]10月、面会を求めた一人の[[ダルヴィーシュ]]に化けたペルシアの間者によって[[暗殺]]された。{{仮リンク|オスマン・サファヴィー戦争 (1578年–1590年)|en|Ottoman–Safavid War (1578–1590)|label=対ペルシア戦争}}はソコルル・メフメトの没後も延々と続いたが、[[1590年]]に[[ダゲスタン]]、[[アゼルバイジャン]]の割譲で講和が結ばれ、ソコルル・メフメトの目論見は一応達成された。
 
==人物==