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'''尾崎 喜八'''(おざき きはち、[[1892年]][[1月31日]] - [[1974年]][[2月4日]])は、[[東京都日本]][[中央区 (東京都)|中央区]]生まれの[[詩人]]、[[随筆家]]、[[翻訳家]]。[[京華商業高等学校|京華商業学校]]卒業
 
== 人物 ==
[[東京府]][[東京市]][[京橋区]](現在の[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]京橋)出身。[[京華商業高等学校|京華商業学校]]卒業。
 
山岳と自然を主題とした[[詩]]や[[散文]]に多くの優れた作品を残した。詩、博物学的な自然と人間についてのエッセイ、翻訳のほかに、クラシック音楽への造詣も深く、最晩年の音楽随筆集『音楽への愛と感謝』などがある。
 
[[ロマン・ロラン]] と[[白樺派]] の影響下に文学的出発をした後、[[高村光太郎]]とともに詩と芸術への研鑽を重ねた。その後、自然と人間についての思索にみちた詩・随筆に独自の境地を開いた。
 
詩・随筆の訳業として、文通のあったロラン、[[ヘルマン・ヘッセ]]を始め、[[ライナー・マリア・リルケ]]、[[モーリス・メーテルリンク]] 、[[ シャルル・ヴィルドラック]]、[[ジョルジュ・デュアメル]] などの珠玉の翻訳がある。
 
一般的には[[美ヶ原]]の美しの塔に刻まれた詩'''「美ヶ原熔岩台地」'''が知られている。
一般的には[[美ヶ原]]の美しの塔に刻まれた詩'''「美ヶ原熔岩台地」'''が知られている。また、戦後の7年間、長野県諏訪郡富士見町に住み、後期の代表作である詩集『花咲ける孤独』を書いた。この時期に、戦前から続く長野県の自然と郷土と山々への愛着はさらに深まり、[[長野県]]下の小中学校を中心として多くの[[校歌]]を作詞した。また、職業野球球団の『[[翼軍|東京セネタース]]』球団歌の作詞も手掛けている
 
現在、富士見町立「高原のミュージアム」には、喜八の遺品、文学資料が多数収蔵・展示されているほか、北海道斜里町の「北のアルプス美術館」でも展示・資料研究が行われている。遺族・支持者・研究者からなる「尾崎喜八研究会」による年鑑「尾崎喜八資料」(1985〜、ISSN 0911-3339)が16号(2000)まで刊行されている。
 
毎年、2月第1週1土曜日を目処に、遺族・ファン・研究者が集う「臘梅忌」が東京で開かれている。(2011年現在、第38回)
 
== 外部リンク ==
* [http://web.archive.org/web/20080617052848/http://kihachi.at.infoseek.co.jp/ 尾崎喜八文学館]
* [http://www.alp-museum.org/ 北のアルプ美術館]
* [http://www.alles.or.jp/~fujimi/kougen.html 高原のミュージアム(富士見町立)]
 
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[[Category:日本の作詞家]]
[[Category:日本の詩人]]
[[Category:日本の随筆家]]
[[Category:日本の翻訳家]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:1892年生]]
[[Category:1974年没]]