「ダイアン・キートン」の版間の差分

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Gemini1980 (会話 | 投稿記録)
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ウディ・アレンに表記を統一。「ウディ・アレンの愛と死」についてはDVDパッケージで邦題確認
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1963年に高校を卒業し、オレンジ・コースト・カレッジに通うが1年で中退してマンハッタンに移る<ref name="mcrazed">[http://www.moviecrazed.com/outpast/keatonarticle.html Diane Keaton: A Nervous Wreck on the Verge of a Breakthrough]. ''Movie Crazed''. 1974. Retrieved February 22, 2006.</ref>。俳優協会に加入する際、すでに「ダイアン・ホール」で登録があったため、母親の旧姓から「ダイアン・キートン'」で登録する<ref name="vanityfair1985">Dominic Dunne. "Hide and Seek with Diane Keaton". ''[[:w:Vanity Fair (magazine)|Vanity Fair]]''. February 1985.</ref>。
[[ニューヨーク]]の[[ネイバーフッド・プレイハウス]]で演技を学び、[[ブロードウェイ]]のミュージカル『ヘアー』に出演。1972年には[[ウディ・アレン|ウッディ・アレン]]の映画『ボギー!俺も男だ』にも出演し成功している。その後アレンとは公私にわたるパートナーとなり、彼の多くの映画に出演。1977年の『アニー・ホール』では[[アカデミー主演女優賞]]を受賞した。
 
===プライベート===
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| 1974 || [[ゴッドファーザーPARTII]] <br /> ''The Godfather Part II'' || ケイ・アダムス・コルレオーネ ||
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|1975|| [[ウディ・アレンの 愛と死]]<br />'' Love and Death '' || ソニア ||
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|rowspan="2"|1976 || [[ダイアン・キートン 可愛い女]] <br /> ''I Will, I Will... for Now'' || ケイティ・ビンガム ||