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それまで多くの研究者の飛行への挑戦がことごとく失敗を重ねて来たのに対し<ref>長らく挑戦者の多くが鳥のように羽ばたく機構の飛行機([[オーニソプター]])を作っていたのも一因と推測される。19世紀に入って近代的な航空機の研究が始まったが、模型飛行機を拡大すればよいとして、操縦特性の研究を軽視する傾向が見られた。</ref>、ライト兄弟は当時としては極めて高度な科学的視点から飛行のメカニズムを解明し、また同時に技術的工学的に着実な手法を取った。[[風洞]]実験によって得たデータを元に何機かの[[グライダー]]試作機を作成し一歩一歩堅実に飛行機の製作を行った。研究の初期には、当時の飛行機開発の最先端を行っていた[[サミュエル・ラングレー]]教授から研究資料の提供を受けていたりした。
 
[[グライダー]]による実験の回数も[[リリエンタール]]らに比べてはるかに上回り、多くの実験データを収集すると共に飛行技術を身につけることができた。グライダーを基礎にまず操縦を研究して、自らそのパイロットになってから動力を追加するのが彼らの戦略であり、他のプロジェクトは動力機体の製作しか眼中になかったと本人たちが述べている<ref>[http://www.ssa.org/UsTeam/ust_press.htm History of Soaring]</ref>。
 
飛行記録からするとオーヴィルの方が操縦に長けていたようである<ref>1906年頃にはアメリカ合衆国でもグライダーがスポーツとして認知されてきたが、オーヴィルは1911年にグライダーで9分45秒の滞空時間世界記録を作っている([http://www.ssa.org/UsTeam/ust_press.htm History of Soaring])([[ライトグライダー#1911 グライダー|1911年のグライダー]])。</ref>。兄弟は実験回数を増やすために「安定した強風が吹いている場所」を気象台に問い合わせ、故郷から遠く離れたキティホークをその場所に選んでいた。安定した強風が必要だったのは、グライダーを凧のように繋留索で地面に固定して、安全かつ安定に実験をするためである(リリエンタールは風がどの方向から吹いてもいいように人工の丘を作った。また墜落で命を落とした)。