「全日空横浜サッカークラブ・ボイコット事件」の版間の差分

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JFAは4月17日に行われた理事会で、「プロ」「ノンアマ」「アマチュア」からなる新たな選手登録制度を全会一致で承認<ref name="朝日19860418b">「サッカー協会 「プロ」登録を承認」『朝日新聞』1986年4月18日 14版 18面</ref>。[[5月7日]]、日本体育協会から新たに「スポーツ憲章」が制定・施行され、各競技団体ごとに規定を設けて金銭の授受やプロ選手登録を行うことを認めたことを受けて<ref>「スポーツ憲章の制定、施行 「アマ」に大きな転換期」『朝日新聞』1986年5月8日 12版 18面</ref>、JFAは[[5月23日]]に開かれた理事会で新選手登録制度を最終決定し、翌[[5月24日]]付けで施行した<ref name="読売19860524">「日本サッカー 新登録制度 きょう発効 「プロ資格」厳しく」『読売新聞』1986年5月24日 14版 16面</ref>。この国内サッカー界初のプロ選手登録制度導入の背景には、ボイコット事件が影響していると言われている<ref name="朝日20120515">潮智史「Side Change ボイコット 26年後の区切り」『朝日新聞』2012年5月15日 13版 22面</ref>。
 
事件後、全日空横浜に携わっていたスタッフやOBは企業に依存することのない地域密着型クラブを標榜して、1986年9月に横浜サッカー&カルチャークラブを設立<ref>{{cite news| url = http://www.yscc1986.net/club/about/history | title= クラブの歴史 | publisher =[[横浜スポーツ&カルチャークラブ|Y.S.C.C.]] | accessdate = 2012年10月20日}}</ref>。[[2002年]]に[[特定非営利活動法人|NPO法人]]化し[[横浜スポーツ&カルチャークラブ]]と改称すると、[[総合型地域スポーツクラブ]]としてサッカーのみならず、様々なスポーツの普及活動を行っている<ref>{{cite news| url = http://www.yscc1986.net/club/about/history | title= Y.S.C.C.について | publisher =Y.S.C.C. | accessdate = 2012年10月20日}}</ref>。
 
== その後 ==