「島津忠高」の版間の差分

日本の江戸時代前期の大名。日向佐土原藩3代藩主島津久雄長男で、佐土原藩4代藩主。従五位下飛騨守
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2006年2月7日 (火) 10:55時点における版

島津 忠高しまづ ただたか慶安4年3月4日1651年4月23日) - 延宝4年8月11日1676年9月18日))は、日向佐土原藩の第4代藩主。父は第3代藩主・島津久雄(忠高は長男)。母は島津光久の娘。正室は亀井滋政の娘。側室は竹井満直の娘。官位は従五位下、飛騨守。

1651年3月4日、江戸で生まれる。幼名は又四郎。万寿丸。尭英坊。名は国久、久英とも。1663年、父の死去により後を継ぐ。藩政においては藩士の格式や知行の制定など、人事面の確立に尽力している。1676年8月11日、26歳の若さで死去した。死後、子の万吉丸(後の島津惟久)は幼少のため、従兄弟の島津久寿が後を継ぐこととなった。法号:松厳院殿隆誉崇雲良心居士。墓所:宮崎県宮崎郡佐土原町の高月院。