「ナイファンチ」の版間の差分

ナイファンチには、初段、二段、三段の三種類がある。二段と三段は糸洲安恒が創作したという説と、元々のナイファンチを三分割して、初段、二段、三段を作ったという説がある。いずれにしろ、もっとも大切とされるのは、ナイファンチ初段である。なお、初段、二段は、左右対称の型である。
 
ナイファンチは、今日では一般的に右進行で始まる流派が多いが、[[本部流]](開祖・本部朝基)や[[一心流]](開祖・島袋龍夫、首里手を本部朝基、[[喜屋武朝徳]]に師事)等の一部の首里手系統、また泊手系統の一部(剛泊会)には、左進行のナイファンチも伝承されている。他にも、開始時に片方だけ顔を向ける方式、左右に顔を巡らす方式(本部流、[[和道流]]、[[神道自然流]])等の違いもある。立ち方も後期の糸洲直系ではサンチン立ちのように膝をやや内側にしぼるが、本部朝基、[[遠山寛賢]](屋部憲通直弟子)、船越義珍の系統では、膝を外に張る。また、船越義珍の立ち方も初期の写真では足幅は狭いが、現在の松濤館系統ではそれよりずっと足幅を広くとる傾向にある。
 
立ち方も後期の糸洲系統ではサンチン立ちのように膝をやや内側にしぼるが、本部朝基、[[遠山寛賢]](屋部憲通直弟子)、[[中村茂]](沖縄拳法)、船越義珍の系統では、膝をやや外に張る。また、船越義珍の立ち方も初期の写真では足幅は狭いが、現在の[[松濤館]]系統ではそれよりずっと足幅を広くとる傾向にある。
 
また、本部朝基によれば、ナイファンチの握拳はかつては平手(開掌)だったとされる<ref>「武士・本部朝基翁に『実戦談』を聴く」『琉球新報』[[1936年]](昭和11年)11月9日記事[http://www.motobu-ryu.org/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E6%8B%B3%E6%B3%95/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E6%9C%9D%E5%9F%BA%E7%BF%81%E3%81%AB%E5%AE%9F%E6%88%A6%E8%AB%87%E3%82%92%E8%81%B4%E3%81%8F/]。</ref>。ほかに左右への諸手突きの鈎突き部分が開掌、裏拳を打つときの添え手部分が[[貫手|二本貫手]]であったとの説もある(金城裕説)。
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