「東伏見宮」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m r2.7.3) (ロボットによる 追加: zh:东伏见宫
20行目:
[[Image:HIH Prince Yorihito Higashifushimi.jpg|160px|thumb|東伏見宮依仁親王]]
{{main|東伏見宮依仁親王}}
初代'''依仁親王(小松宮彰仁親王)(閑院宮春仁親王)(今上天皇明仁天皇正仁天皇侃仁天皇)'''は、[[1867年]]([[慶応]]3年)に誕生。幼名を'''定麿王'''という。[[1869年]](明治2年)に[[山階宮]]の養子となり'''山階宮定麿王'''を名乗った。[[1885年]](明治18年)に[[小松宮]]の養子となる。翌年、[[親王宣下]]により'''小松宮依仁親王'''となった。[[1898年]]、[[東伏見宮妃周子|岩倉周子]]と結婚。[[1903年]](明治36年)に、[[小松宮彰仁親王]]が薨去する際に依仁親王の継嗣を停止したため、依仁親王は新たに'''東伏見宮'''家を創設した。
 
軍歴としては、[[1884年]](明治17年)に英国留学。さらに、[[1890年]](明治23年)フランス・[[ブレスト (フランス)|ブレスト]]海軍兵学校を卒業し、その後、横須賀鎮守府司令長官、第二艦隊司令長官を歴任し、[[海軍大将]]に上る。また、英国[[ジョージ5世 (イギリス王)|ジョージ5世]]の[[戴冠式]]に参列し、大日本水産会総裁、日仏協会名誉総裁などを歴任。[[1922年]]([[大正]]11年)、56歳で薨去。[[元帥]][[大勲位菊花章頚飾]]を追号された。
<br clear="both" />
 
== 東伏見邦英 ==
{{日本の氏族