「国鉄3250形蒸気機関車」の版間の差分

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'''3250形'''は、かつて[[日本国有鉄道]]の前身である[[鉄道省|鉄道院]]に在籍した[[タンク機関車|タンク式]][[蒸気機関車]]である。
[[Image:JRKyushu bus02.jpg|thumb|280px|直方線 338-0922]]
'''直方線'''(のおがたせん)は、[[JR九州バス]]が運行する[[路線バス|自動車路線]]である。設定当初は[[鉄道省]]→[[日本国有鉄道]]([[国鉄バス]])が運営したが、[[1987年]][[4月1日]]の[[国鉄分割民営化]]にともない[[九州旅客鉄道]](JR九州)に継承され、[[2001年]][[7月1日]]にバス事業分社化にともない設立された[[子会社]]ジェイアール九州バス([[2012年]]7月1日に現名称に改称)に譲渡された。
 
本項では、細部が異なるものの、本質的に同形車である'''3390形'''についても取り扱う。
本項では、運行を担当する'''福岡中部支店'''(ふくおかちゅうぶしてん)・'''博多支店'''(はかたしてん)と、路線の中間拠点として機能していた[[自動車駅]]である'''宮田町駅'''(みやたまちえき)・'''福丸駅'''(ふくまるえき)についても記述する。
 
== 概 ==
[[ファイル:JGR-3250SL.jpg|thumb|240px|right|日本鉄道 503(後の鉄道院 3252)]]
本路線は、[[1943年]]2月に直方と福間、福丸と筑前脇田、宮田町と新飯塚、博多と中久原間の合計58kmの運行を開始したのが始まりである。鉄道では遠回りとなる直方などの産炭地と博多を結ぶ路線<ref>当時、[[篠栗線]]は全通していなかった。</ref>で、'''鉄道線の短絡'''という使命を有するとともに、戦時中の産炭地における輸送の確保という軍事的な目的があったといわれている<ref>『バスジャパン・ハンドブックシリーズ9 四国旅客鉄道・九州旅客鉄道』p16</ref>。
[[ファイル:JGR-3390SL.jpg|thumb|240px|right|北海道炭礦鉄道 60(後の鉄道院 3392)]]
3250形は、元は[[両毛鉄道]]が[[1893年]](明治26年)に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ボールドウィン・ロコモティブ・ワークス|ボールドウィン]]から5両([[製造番号]]13776, 13777, 13780 - 13782)を輸入した[[車軸配置]]2-6-2(1C1)で2気筒単式の[[水蒸気#飽和蒸気と過熱蒸気|飽和]]式タンク機関車である。両毛鉄道が国有鉄道の管理から離れた1年後に製造された両毛鉄道プロパーの機関車である。両毛鉄道では'''1 - 5'''、[[1897年]](明治30年)の[[日本鉄道]]への併合後は、'''B3/5形'''('''501 - 505''')とされた。[[筑豊鉄道]]に導入された後の[[国鉄3300形蒸気機関車|鉄道院3300形]]をやや小型にした機関車である
 
[[1901年]](明治34年)には、1両(504)が[[北海道炭礦鉄道]]に譲渡され、同社の'''M形'''、後に'''ル形'''('''58''')となったが、北海道炭礦鉄道は同年、2両の同形車(製造番号19330, 19331)をボールドウィンに追造させ、同じくル形に編入して'''59, 60'''とした。
終戦後も、鉄道が石炭輸送中心であったことから、旅客輸送は本路線が一定の役割を果たすことになった。これは'''鉄道線の代行'''という使命といえ、[[1968年]]の[[篠栗線]]開通後も筑豊地区と博多を結ぶ幹線バス路線として運行され続け、[[1984年]]時点でも直方と博多を結ぶ直通便が14往復設定されていた<ref>『鉄道ジャーナル』1984年6月号 p69</ref>。その一方で、1970年代以降は採算性の悪い支線については休廃止された。
 
[[1906年]](明治39年)に両社は[[鉄道国有法]]によって買収され、所属する機関車は国有鉄道籍となった。これを受けて[[1909年]](明治42年)に制定された鉄道院の車両形式称号規程では、日本鉄道の4両は'''3250形'''('''3250 - 3253''')、北海道炭礦鉄道の3両は'''3390形'''('''3390 - 3392''')に[[改番]]された。
国鉄末期の[[1986年]][[12月28日]]からは、[[九州自動車道]]経由で直方と博多を結ぶ路線の運行を開始したが、その後撤退している。また、一部区間において都市高速道路を経由する運行系統も一時期存在したが、こちらも廃止となっており、[[2008年]]現在は全て一般道のみを走行する運行系統となっている。
 
これらは、メーカー規格では10-22 1/4Dで、本来同一のものである。それがこのように2形式に分かれたのは、北海道炭礦鉄道では動輪のタイヤを増強して、直径を1,270mmから1,321mmに増したためである。
== 路線一覧 ==
宮田町駅・福丸駅は[[自動車駅]]だったが現在は停留所化。
福丸は駅舎解体のうえ簡易な施設が設置されている。
宮田町は「宮田」に改称されたが駅舎は現存。
 
3250形はいずれも構内[[入換 (鉄道)|入換]]に使用されたが、1両が[[1917年]](大正6年)1月、残りが[[1918年]](大正7年)に[[廃車 (鉄道)|廃車]]となった。このうち1917年に廃車となった3253が[[白棚鉄道]]へ払い下げられて同社の'''1'''に、3251は[[八幡製鐵所|八幡製鉄所]]へ、3250と3252は日中合弁企業である中日実業公司を通じて、[[中国]]の鉱山で使用されている。白棚鉄道の1は、同鉄道が[[1938年]](昭和13年)に鉄道省に借り上げられたのにともない、再び国有鉄道によって使用され、[[1940年]](昭和15年)まで使用された<ref>臼井茂信「国鉄蒸気機関車小史」の記述。金田茂裕「形式別 日本の蒸気機関車 II」では、国有鉄道借り上げ前に廃車されたとしている。</ref>。
=== 現行路線 ===
* 直方本線
** [[直方駅#JRバス直方駅|直方駅]] - 鞍手高校 - 鴨生田公園 - 宮田 - 福丸 - 脇田温泉 - 山の神 - [[久山町|久山]] - 深井 - 山の鼻 - 筑前土井 - [[箱崎駅]]西口 - 九大病院・県庁前 - 千代町 - [[博多駅]]
**:※彼岸やお盆など、お墓参りのシーズンになると、糟屋郡久山町にある「[[西日本霊園]] 東部墓地公園」行きの臨時バスが出ている(西日本霊園支線)。このシーズン以外は、「山の神」で降車すれば、西日本霊園に一番近い(徒歩で10~15分ほど)
** 山の鼻 - 蒲田団地(蒲田団地支線)
 
八幡製鉄所の3251は'''84'''、後に'''318''' → '''343'''に改番され、[[先輪]][[従輪]]を撤去して軸配置0-6-0(C)とされたが、水タンクの形状を傾斜型としたり、[[弁装置]]を[[ワルシャート式弁装置|ワルシャート式]]に変更するなど大規模な改造が行われたものの、[[1951年]](昭和26年)まで使用された<ref>金田茂裕の「形式別 日本の蒸気機関車 II」では、1963年廃車としている。</ref>。
[[File:338-1921 JR Kyushu U-JM210GAN.jpg|thumb|200px|飯塚線 338-1921]]
* 飯塚線
** 宮田 - 庄司本村 - 幸袋中 - [[新飯塚駅]]
** 庄司本村 - 自衛隊前 - 健康の森公園 - 幸袋中
* 福間線
** 福丸 - 原の前 - 筑前本木 - [[福間駅]]
* イオンモール福津循環線
** [[福間駅]]さいごう口 - 四角 - 水光会総合病院前 - イオンモール福津 - 福間駅南1丁目 - 福間南小学校西 - [[福間駅]]さいごう口
 
3390形については、国有化後も北海道内で使用されたが、[[1924年]](大正13年)に全車が廃車となった。これらは同年に3391, 3392が、翌年には3390が[[釧路臨港鉄道]]に払下げられて同社の'''1 - 3'''となった。そのうち、3は[[1936年]](昭和11年)に事故廃車となり、1は1951年、2は[[1950年]](昭和25年)に老朽廃車された。
==== 運行地域 ====
すべて[[福岡県]]。
* [[直方市]]
* [[宮若市]]
* [[鞍手郡]][[小竹町]]
* [[福岡市]][[東区 (福岡市)|東区]]・[[博多区]]
* [[糟屋郡]][[久山町]]・[[粕屋町]]
* [[飯塚市]]
* [[福津市]]
 
=== 主な廃止路線・系統要諸元 ===
=== 3250形 ===
* 直方本線
*全長 : 9,810mm
** 直方駅 - 宮田町駅 - 福丸駅 - ([[若宮インターチェンジ|若宮IC]] - [[九州自動車道]] - [[福岡インターチェンジ (福岡県)|福岡IC]] - [[福岡高速道路|福岡都市高速道路]]) - [[博多駅]]
*全高 : 3,607mm
**: 1986年末より運行開始した高速道路経由の路線であるが、後に撤退。
*全幅 : 2,286mm
** 山の神 - 久山 - 深井 - 山の鼻 - 筑前土井 - (福岡都市高速道路) - 博多駅
*[[軌間]] : 1,067mm
** 宮田町駅 - [[室木駅]] - 鞍手局 - [[鞍手駅]]
*[[車軸配置]] : 2-6-2(1C1)
** 宮田町駅 - [[小竹駅]]
*動輪直径 : 1,270mm
** 東久原 - [[篠栗駅]]
*[[弁装置]]:[[スチーブンソン式弁装置|スチーブンソン式]]アメリカ型
** 山の神 - 猪野(うち山の神 - 西日本霊園間は現在も臨時運行)
*シリンダー(直径×行程) : 356mm×508mm
** 直方駅 - 二字町 - 鴨生田公園
*ボイラー圧力 : 9.8kg/cm&sup2;
** 久山 - 東久原
*火格子面積 : 1.35m&sup2;
** 深井 - トリアス久山
*全伝熱面積 : 56.8m&sup2;
**煙管蒸発伝熱面積 : 51.1m&sup2;
**火室蒸発伝熱面積 : 5.7m&sup2;
*ボイラー水容量 : 2.5m&sup3;
*小煙管(直径×長サ×数) : 44.5mm×2794mm×131本
*機関車運転整備重量 : 36.32t
*機関車空車重量 : 29.87t
*機関車動輪上重量(運転整備時) : 27.69t
*機関車動輪軸重(第2動輪上) : 10.80t
*水タンク容量 : 3.20m&sup3;
*燃料積載量 : 1.83t
*機関車性能
**シリンダ引張力 : 4,220kg
<!--**粘着引張力 :
**動輪周馬力 : -->
*ブレーキ装置 : [[手ブレーキ]]、[[蒸気ブレーキ]]
 
=== 3390形 ===
* 上野線
*全長 : 9,823mm
** 直方駅 - 筑前上境 - 原田町 - 上野峡
*全高 : 3,620mm
** 筑前上境 - 内ヶ磯
*全幅 : 2,350mm
**: 2006年4月をもって[[西鉄バス]]に運行移管。
*軌間 : 1,067mm
** 原田町 - [[赤池駅 (福岡県)|赤池駅]]
*車軸配置 : 2-6-2(1C1)
* 福間線
*動輪直径 : 1,321mm
** 福間駅 - 福間中学校
*弁装置 : [[スチーブンソン式弁装置|スチーブンソン式]]アメリカ型
** 福間駅 - 粟島神社
*シリンダー(直径×行程) : 356mm×508mm
** 筑前本木 - 八並公民館
*ボイラー圧力 : 9.8kg/cm&sup2;
** 原の前 - 筑前畑
*火格子面積 : 1.35m&sup2;
*全伝熱面積 : 57.7m&sup2;
**煙管蒸発伝熱面積 : 51.1m&sup2;
**火室蒸発伝熱面積 : 6.6m&sup2;
*ボイラー水容量 : 3.1m&sup3;
*小煙管(直径×長サ×数) : 44.5mm×2,794mm×131本
*機関車運転整備重量 : 41.57t
*機関車空車重量 : 32.73t
*機関車動輪上重量(運転整備時) : 31.62t
*機関車動輪軸重(第3動輪上) : 11.64t
*水タンク容量 : 3.29m&sup3;
*燃料積載量 : 1.85t
*機関車性能
**シリンダ引張力 : 4,220kg
<!--**粘着引張力 :
**動輪周馬力 : -->
*ブレーキ装置 : 手ブレーキ、蒸気ブレーキ
 
== 脚注 ==
 
{{Reflist}}
== 主な自動車駅 ==
=== 直方駅 ===
{{see also|直方駅#JR九州バス}}
直方駅前に直方自動車営業所と併設され、直方駅と別の駅舎を持ち、発券窓口を有していたが、その後窓口営業は廃止された。また、直方地区土地区画整理事業に伴い直方支店は2010年5月31日をもって閉鎖、福丸車庫用地に新築移転「福岡中部支店」となり、駅舎も旧直方支店とともに解体撤去された。撤去後しばらくはプレハブの待合室を置いた停留所を設置していたが、2011年9月17日に隣接する[[西鉄バス]]直方バスセンター・降車場に統合された。
 
=== 宮田町駅 ===
[[福岡県]][[宮若市]]太蔵にある[[自動車駅]]([[バスターミナル]])である。発券窓口のほかに売店も設置されていたが、その後窓口・売店とも営業廃止となった。
 
旧[[宮田町 (福岡県)|宮田町]]における国鉄の鉄道線は[[宮田線]]が存在したが、貨物輸送主体であったことから事実上、宮田町の主要交通機関として機能していた。また、[[宮脇俊三]]が宮田線に乗車した際に、タクシー運転手に「宮田の駅まで」と行き先を告げたところ、[[筑前宮田駅]]ではなく宮田町駅に最初に連れて行かれた<ref>宮脇俊三「[[時刻表2万キロ]]」(1978年・河出書房新社)p194</ref>というエピソードもあり、事実上宮田町の中心駅として位置づけられていた。
 
旧筑前宮田駅の約800m北側にあり、旧筑前宮田駅から当駅の周辺部までが宮若市の中心市街地となっている。
 
2008年の改正時「宮田」に改称。
 
=== 福丸駅 ===
福岡県宮若市福丸にある自動車駅(バスターミナル)である。駅舎は円形となっており、発券窓口も存在したが、その後窓口営業は廃止となった。駅舎は2009年に解体。停留所化された。現在は駅舎跡地に簡易な上屋が設置されている。敷地内に一度入って旅客取扱をする形は変わっていない。
 
旧[[若宮町]]の中心駅として位置づけられており、周辺は旧若宮町の中心市街地となっている。また、当駅のはす向かいに若宮町役場があった。その跡地は総合支所機能を併設する若宮コミュニティセンターとなっている。
 
== 担当営業所 ==
1943年2月に本路線の運行を開始した際に、直方自動車区・博多支区・福丸派出所が開設された。
 
[[1958年]][[3月10日]]に[[関門急行線]]の運行が開始された際には、本営業所も3往復を担当している。関門急行線は[[1978年]]10月に運行休止となり、その後1986年に九州自動車道経由の運行系統が新設されるまでは一般路線の運行のみを担当していた。
 
国鉄時代、博多支所は直方自動車営業所の支所扱いであったが、分割民営化後の[[1988年]]に自動車営業所に格上げされた。[[1989年]]以降は[[高速バス]]への参入に伴い、福岡地区での高速バス運行拠点となっている。一方、直方支店は、高速道路経由便の休止後は再び一般路線のみを担当する営業所となっている。なお、福丸支所は、1988年に福丸自動車営業所に格上げされたが、[[1999年]]に直方自動車営業所に統合され、福丸車庫となった。
 
バス事業の分社化後、支店制度の採用により直方支店・博多支店となった。その後、2010年6月1日、土地区画整理事業に伴い直方支店を福丸車庫用地に移転、「福岡中部支店」となった。
 
== 車両 ==
福岡中部支店および博多支店の一般路線車が使用される。一部車両は貸切用途も考慮した前扉のみのリクライニングシート装備車であったが、現在は全て2扉車にて運行されている。
 
== 注記 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references/>
 
== 外部リンク ==
* [http://www.jrkbus.co.jp/rosen_map/nougata_route01.html ジェイアール九州バス 路線バス 直方線]
 
== 参考文献 ==
*臼井茂信「国鉄蒸気機関車小史」1956年、[[電気車研究会|鉄道図書刊行会]]刊
* 『[[鉄道ジャーナル]]』1984年6月号「特集・国鉄バス1984」
*臼井茂信「日本蒸気機関車形式図集成」1969年、[[誠文堂新光社]]刊
* 『[[バス・ジャパン|バスジャパン]]・ハンドブックシリーズ9 四国旅客鉄道・九州旅客鉄道』(1996年・BJエディターズ)ISBN 4795277842
*臼井茂信「機関車の系譜図 1」1972年、[[交友社]]刊
*金田茂裕「形式別 日本の蒸気機関車 II」[[エリエイ]]出版部刊
*金田茂裕「日本蒸気機関車史 私設鉄道編 I」エリエイ出版部刊
*「日本に輸入されたBALDWIN製機関車の製造番号表」1969年、「SL」No.2、交友社刊
 
{{日本鉄道の蒸気機関車}}
{{Bus-stub}}
{{北海道炭礦鉄道の蒸気機関車}}
{{DEFAULTSORT:のおかたせん}}
{{白棚鉄道の蒸気機関車}}
 
[[Category:九州地方日本国有鉄道バス路線蒸気機関車|3250]]
[[Category:日本国有両毛鉄道の自動|路線1]]
[[Category:ジェイアール九州バス日本鉄道|車3250]]
[[Category:日本国有北海道炭礦鉄道の自動|3250]]
[[Category:九州地方のバス営業所白棚鉄道|車3250]]
[[Category:八幡製鉄所専用鉄道|車3250]]
[[Category:ボールドウィン製の蒸気機関車|日本国鉄3250]]
[[Category:1893年製の鉄道車両|こくてつ3250]]