「ヴィルヘルム・フォン・エスターライヒ (1827-1894)」の版間の差分

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'''ヴィルヘルム・フランツ・カール・フォン・エスターライヒ'''('''Wilhelm Franz Karl von Österreich''', 1827年4月21日 [[ウィーン]] - 1894年7月29日 ヴァイカースドルフ、[[バーデン・バイ・ウィーン]])は、[[オーストリア=ハンガリー帝国]]の軍人。[[ハプスブルク=ロートリンゲン家]]の分枝[[チェシン公国|テシェン公爵家]]の公子。[[ドイツ騎士団]]総長(在任1863年 - 1894年)。
 
オーストリア皇帝[[フランツ2世 (神聖ローマ皇帝)|フランツ1世]]の弟で陸軍元帥の[[カール・フォン・エスターライヒ=テシェン|カール]]大公と、ナッサウ=ヴァイルブルク侯[[フリードリヒ・ヴィルヘルム (ナッサウ=ヴァイルブルク侯)|フリードリヒ・ヴィルヘルム]]の娘[[ヘンリエッテ・アレクサンドリーネ・フォン・ナッサウ=ヴァイルブルク|ヘンリエッテ・アレクサンドリーネ]]の間の末息子として生まれた。
 
1848年から1849年までの第1次[[イタリア独立戦争]]には志願兵として参加し、1859年に野戦砲兵監となった。1862年にはドイツ連邦軍[[マインツ要塞]]の司令官に就任し、1864年に砲兵総監および陸軍中将に昇進した。1863年、ドイツ騎士団の総長に就任する。1866年の[[ケーニヒグレーツの戦い]]では砲兵部隊を指揮し、負傷した。1867年、砲兵部の最高指揮官である「[[:de:Feldzeugmeister|Feldzeugmeister]]」に昇進した。
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