「エグロン・ファン・デル・ネール」の版間の差分

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===君主のための画家===
ファン・デル・ネールはブリュッセルで[[南ネーデルラント]]の総督と良い関係を築いた。In 1687年にはスペイン王[[カルロス2世 (スペイン王)| カルロス2世]]の元で[[宮廷画家]]に任命された。2年後、カルロス2世の最初の妻が亡くなると、ファン・デル・ネールは花嫁候補者の[[マリア・アンナ・フォン・プファルツ=ノイブルク]]の肖像画を描いた。1695年にはオランダを旅していたプファルツ選帝侯[[ヨハン・ヴィルヘルム (プファルツ選帝侯)| ヨハン・ヴィルヘルム]]が彼の作品を入手している。この出来事がきっかけで、プファルツ選帝侯から直接依頼を受けている。同じ年にブリュッセルがフランス軍によって攻撃されたため、彼は移住先を探し始める。一方、プファルツ選帝侯は自身の宮廷画家であった[[:en:Johannes Spilberg|ヨハンネス・スピルベルグ]]が1690年に亡くなった後、後任を探しているところであった。ファン・デル・ネールの2番目の妻が1692年に亡くなるが、その後彼はスピルベルグの娘で画家でもあった[[:en:Adriana Spilberg|アドリアナ]]と出会って1697年に再婚する。翌年、プファルツ選帝侯より宮廷画家になるオファーを受け、それを受けたファン・デル・ネールは[[デュッセルドルフ]]に移り、以後そこで活躍した。
 
==作品==