「ロバート・W・ホリー」の版間の差分

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'''ロバート・ウィリアム・ホリー'''(Robert William Holley, [[1922年]][[1月28日]] - [[1993年]][[2月11日]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[生化学者]]で、[[アラニン]]の[[運搬RNA]]を介して[[デオキシリボ核酸|DNA]]と[[タンパク質合成]]を結びつけた研究で、[[ハー・ゴビンド・コラナ]]、[[マーシャル・ニーレンバーグ]]とともに1968年度の[[ノーベル生理学・医学賞]]を受賞した。
 
ホリーは[[イリノイ州]]の[[アーバナ (イリノイ州)|アーバナ]]で生まれ、1938年にアーバナ高校を卒業した。その後[[イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校|イリノイ大学]]で化学を学び、1942年に卒業した。卒業後は[[コーネル大学]]の博士課程で[[有機化学]]の研究を行った。第二次世界大戦中の2年間をコーネル大学医学部の[[ヴィンセント・デュ・ヴィニョー]]の下で過ごし、世界で初めて[[ペニシリン]]の化学合成に成功した。ホリーは1947年に博士号を取得した。
 
彼は卒業後もコーネル大学に残り、1948年に有機化学の助手に、1962年に教授になった。そして1955年から56年のサバティカルの後に、[[カリフォルニア工科大学]]のジェームズ・ボナーとともにRNAの研究を始めた。