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{{ActorActress
| 芸名 = ドン・シーゲル<br>Don Siegel
| ふりがな = ドン・シーゲル
| 画像ファイル =
| 画像サイズ =
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| 本名 = Donald Siegel
| 別名 =
| 出生地 = [[イリノイ州]][[シカゴ]]
| 死没地 = [[カリフォルニア州]][[ニポモ]]
| 国籍 = {{USA}}
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| 備考 =
}}
'''ドナルド・シーゲル'''('''Donald "Don" Siegel''' , [[1912年]][[10月26日]] - [[1991年]][[4月20日]])は[[アメリカ合衆国]][[イリノイ州]][[シカゴ]]出身の[[映画監督]]。
 
== 経歴 ==
[[マンドリン]]奏者である父の巡業のため、幼い頃からアメリカ各地を転々とし、高校卒業後に家族で渡英。[[ケンブリッジ大学]]や[[英国王立演劇アカデミー]]で学び、その後再び家族で渡仏。1931年に帰国し、叔父が[[ワーナー・ブラザーズ]]で働いていたため、34年、同社で働くようになる。編集助手や助監督などで[[ラオール・ウォルシュ]]、[[ハワード・ホークス]]、[[マイケル・カーティス]]を始めとする数多くの映画監督の下に付く。[[モンタージュ]]技術があり、担当として腕を振るった。
 
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1980年代にはプロデューサーとの軋轢により、思う様に製作が進まない状況になる。遺作となった『ジンクス』では、第2班監督として弟子であるペキンパーが付いて、シーゲルを励ます形となったが、この2年後にペキンパーは死去した。映画界から距離を置いたシーゲルは、自伝の執筆に力を注ぎ、1991年4月20日、癌により死去する。シーゲルのいま1人の弟子と呼べるイーストウッドは、『[[許されざる者 (1992年の映画)|許されざる者]]』を、いま一人の師である[[セルジオ・レオーネ]]と共に、シーゲルに捧げている。
 
== 作風・演出 ==
感傷的な描写を廃した、暴力的な作品が多い。これは彼が演出家として育った、1950年代ハリウッドB級映画という環境の特色とも言える。
 
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*ジンクス ''Jinxed!'' (1982)
 
== 参考文献 ==
*DVD-BOX ドン・シーゲル・コレクション別冊『ドン・シーゲル再入門』桑野仁(著) (キングレコード KIBF 90418-90421)
 
== 関連項目 ==
*[[サム・ペキンパー]]
*[[クリント・イーストウッド]]
 
== 外部リンク ==
*[http://eiganokuni.com/feature/2008/06/_1text_by.php WOWOWドン・シーゲル特集 桑野仁]
* {{imdb|0796923|Don Siegel}}
* {{allcinema name|4053}}
 
{{ドン・シーゲル}}
{{Normdaten|PND=119240270|LCCN=n/88/245204|VIAF=24816488}}
{{DEFAULTSORT:しける とん}}
[[Category:アメリカ合衆国の映画監督]]