「観世流」の版間の差分

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しまあじ (会話 | 投稿記録)
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五世与五郎急逝の後は、師家金春重家が家元を預かり(六世)、その長男・左吉重次(七世)が養子入して流儀を再興した。重次は当時名手として有名で、それまで弟子に持たせて打っていた太鼓を置くための台(左吉台と呼ばれる)を考案するなど、太鼓技法に多くの改良を加えた{{要出典|date=2009年2月}}。江戸時代は観世座の座付として過ごし、代々名人を輩出したが、特に十五世観世元規は[[明治]]期を代表する太鼓方として名高い{{要出典|date=2009年2月}}。
 
現家元は十六世観世元信。[[東京]]を主たる地盤にし、能楽協会に登録された役者は、[[2006年]]の時点で16人。金春流に比べると、撥の扱いが直線的で、手組も地味であり、古風を存すると言われる{{誰2|date=2009年2月}}。
 
== 所属の能楽師数 ==