「アプリオリ」の版間の差分

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もっとも今日的な一般的用法としては、アプリオリとは、「演繹的証明の必要のない自明的な事柄」という意味で使われることが多い。
 
また[[フレーゲ]]によれば、命題が論理法則のみに依拠すれば「アプリオリ」であり、経験的事実に依拠すれば「アポステリオリ」となる<ref>ここでいう「命題」とは厳密には「ある判断の真理性の証明」を指す。野本和幸『フレーゲ哲学の全貌』勁草書房2012(p.155)</ref>。
 
[[フッサール]][[現象学]]では、直観によるアプリオリの作用(抽象)を「本質直観」と呼んでいる<ref>本質直観は「イデー化(理念化)」とも呼ばれており、フッサール自身、様々な角度から説明を試みている。『デカルト的省察』・『論理学研究』など</ref>。
 
[[認識論]]において用いられる難解な言葉であり、アプリオリは[[アポステリオリ]]の[[対語]]である。「先験的」「先天的」などと訳される場合があるが、どちらの訳もこの語の意味にあっていないと言われ、多くの場合「アプリオリ」と[[カタカナ]]で書かれる。
 
アプリオリの具体的な意は、「私はこのことをアプリオリに知っている」は「私はこのことを知っているが、経験を通じて知ったのではない」と言うような具合である。アプリオリの意は非常に複雑であり、わかりにくいと言われる。
 
「物事には原因がある」という観念は、実際の経験事実よりも「先立って」存在している。つまり[[因果律]]は経験に先立っている(prior)から、「アプリオリ」な観念だといわれる。
 
== 法学におけるアプリオリ ==
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