「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の版間の差分

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*たけしがバイク事故で入院していた時期(1994年9月)に、たけしの相方である[[ビートきよし]]が1度だけ代理司会を務めたこともある。しかし、思ったほど受けなかったためか、以降、きよしに声が掛かることは無かった。
*番組前の[[クロスプログラム|ジャンクション]]は、たけしが「'''この後は、○○!'''」と、関係ない番組名や商品名などを言うパターンが多かった。このパターンは同じ日テレの番組『[[世界まる見え!テレビ特捜部]]』や[[MBSテレビ|MBS]]・[[TBSテレビ|TBS]]系の『[[たけし・所のドラキュラが狙ってる]]』、[[ABCテレビ|ABC]]・[[テレビ朝日]]系の『[[たけしの万物創世紀]]』でも行われていた。なお、松方弘樹が代役司会を担当したときは「この後すぐ、元気が出るテレビ!」と普通の紹介だった。
*番組名の「元気が出るテレビ」は、日曜の夜になると『明日からまた学校や仕事に行かなければならない』と憂鬱な気分になる学生や社会人に対して元気を出させる、という主旨でテリー伊藤がネーミングしたものである。
 
1994年の夏ごろまでは、人気企画(平成口ゲンカ王決定戦、全国高校・校内カラオケ選手権など)もあり高視聴率を保っていたが、同年9月からビートたけしがバイク事故による休養で半年間番組に出演しなくなり、番組の人気に陰りが出始める。翌年3月に復帰するも、半年後の1995年10月にレギュラー出演者を大幅に入れ替え、番組タイトルの頭に「超」を付けてリニューアルをした。