「シュテファン・ツヴァイク」の版間の差分

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== 生涯 ==
ツヴァイクは、ウィーンできわめて富裕なユダヤ系織物工場主であるモーリッツ・ツヴァイクと、妻(イタリア人の銀行家の一族出身)のイダとの間に生まれた。[[ウィーン大学]]で哲学と文学史を学び、1904年に博士論文「イッポリート・テーヌの哲学」で哲学博士号を取得した(この博士号は1941年、ナチス支配下のオーストリアで「人種的理由から」剥奪され、この処置は2003年4月になって取り消回復された)。
 
ツヴァイクは[[世紀末ウィーン]]の優れた文化的環境のもとで、ギムナジウム時代から文学、芸術に親しんでいた。[[ホーフマンスタール]]の流れを汲む[[新ロマン主義]](派)風の[[叙情詩]]人として出発する。詩集『銀の弦<ref>(''Silberne Saiten'', 1901)</ref>』で文壇にデビュー。当時の前衛運動である{{仮リンク|青年ウィーン|en|Young Vienna}}運動に関与した。