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1991年、[[フィリップス]]が規格を制定したマルチメディア機である[[CD-i]]プレーヤーに対抗して、Amiga 500のハードをそのまま流用した[[CDTV]]を「マルチメディア機」として売り出したが商業的に失敗に終わる(ちなみにCD-iも失敗している)。また同年、Amiga 500の改良版としてWorkBench 2.0を搭載したAmiga 500+をリリース。ユーザーインターフェイスは進化したものの、WorkBench 1.3を搭載していたAmiga 500との互換性に乏しく、いくつかのAmiga 500用のゲームが動かなかったためにゲーマーの不評を買う。一部のゲーマーはAmiga 500+にWorkBench 1.3をロードさせるプログラムを使って対処した。
 
1992年、Amiga 500+の改良版としてAmiga 600をリリース。コモドールは16ビット機から32ビット機への移行期にあたって、16ビット機であるAmiga 500シリーズを32ビット機に対する最廉価ラインと位置づけ、そろそろゲームコンソールとしての役目を終えようとしていた8ビットゲームパソコンCommodore64/128シリーズをこのAmiga 500シリーズで置き換える目論見であった。コモドールはAmiga 600を「[[レミングス]]」などの人気ゲームや[[グラフィックスエディタ]]の「デラックスペイント」と抱き合わせにしてAmiga 500と同価格帯で販売したが、既にAmiga 500シリーズはゲーム機としては性能が陳腐化しており、欧州のゲーマーは1990年末にリリースされたSEGA MEGA DRIVE<ref>[[メガドライブ]]の欧州版。SNES([[スーパーファミコン]])やTurboGrafx-16([[PCエンジン]])を抑えて欧州の市場を握った</ref>にどんどん移行していったため、結局Amiga 500シリーズは打ち切られ、本来上位機種と位置づけられていたAmiga 1200がゲーマー向け廉価機種として投入される羽目になってしまう。1990年前後より欧州各国で[[オタク]]ブームが起こり、Amiga 500でも『[[アビヂャ]]』や『[[タリカン3]]』など日本製アニメの強い影響を受けたゲームが多くリリースされるが、MEGA DRIVEにてリリースされる本家の日本製ゲームは質・量共にAmigaを圧倒しており、Amigaは欧州のオタク層の支持を失った。
 
同じく1992年、Amiga OS Ver.3と最新のAGAチップセットを搭載した[[Amiga 1200]]とAmiga 4000をリリース。しかし経営は苦しく、特にゲームパソコンとしてAmiga 500に続くヒットが期待されたAmiga 1200対応のゲームが揃わないのが痛手であった。安価なPCとは言えコンシューマー機よりもはるかに高価、PC/AT互換機でも[[VGA]]と[[SoundBlaster]]が標準となったこの頃にはかつてのような先進性は失われ、市場もゲームメーカーも欧州にしか無い、などさまざまなマイナス要素があったためである。これまでAmiga 500用のゲームを供給し続けてきた欧州のゲームメーカーも、Amigaにおけるゲームの違法コピーの蔓延とMEGA DRIVEの爆発的普及を見て、Amiga 1200より売り上げが見込めるMEGA DRIVE(あるいはPC/AT互換機)に乗り換える所が続出した。Amigaの売り上げの低迷に加え、同年にはコモドールがCommodore 64/Amiga事業と平行して進めていたPC/AT互換機事業が失敗に終わり、事業を清算するなど、会社が傾き始める。同年、アタリからは対抗馬として[[Atari Falcon]]が投入されていたが、既に欧州でもホームコンピュータ市場が消滅しつつあり、アタリも経営が苦しいのには変わりが無かった。両社とも業績悪化に伴ってハードウェア開発が停滞しており、パーツのコモディティ化に伴ってどんどん価格が下がるPC/AT互換機に比較して価格性能比が悪く、かつてのライバルであったAppleの[[Macintosh Quadra]]には性能面で対抗できなかった。Amigaの最新機種であるはずのAmiga 1200とAmiga 4000に搭載されたAGAチップセットがECSチップセットの小規模な改良に過ぎず、またAmiga 1200にMC68030ではなく時代遅れのMC68020を採用するなど、当時の流行であった[[SVGA]]対応の[[マルチメディア]]PCの対抗馬となりえなかったことは、プロユーザーとゲーマーを大いに失望させた。