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== 来歴・人物 ==
高校時代は[[島根県立浜田高等学校|島根県立浜田高校]]に在学。その後社会人の[[三菱ふそう川崎硬式野球部|三菱自動車川崎]]に進む。[[1988年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1988年のプロ野球ドラフト会議]]で[[中日ドラゴンズ]]からの6位指名を受け入団。一年目から一軍の試合に出場するも一軍定着は成らず、ほとんど二軍生活だった。二軍では主力として活躍し、[[東京ドーム]]で行われた{{by|1990年}}の[[ファーム日本選手権|ジュニア日本選手権]](対[[読売ジャイアンツ]])では、[[石毛博史]]から[[代打]]逆転サヨナラ3点[[本塁打]](敵地・東京ドームでありながら、中日は後攻であった)を放ち[[最優秀選手 (野球)|最優秀選手]]に選出された<ref>『読売新聞』1990年10月8日19面14版 {{G5000|付属のDVD収録}}</ref>。
四年目の{{by|1992年}}に一軍定着。同年はレギュラーとして「一番・センター」で起用され、チームトップの14盗塁を記録。{{by|1994年}}[[セ・リーグ]]ペナントレース最終戦、130試合目で勝った方がリーグ優勝の大一番、[[ナゴヤ球場]]での対巨人26回戦([[10.8決戦]])では「一番・レフト」で先発出場。敗れはしたものの、2塁打を含む2安打を放った。
 
{{by|1995年}}のシーズンオフに、[[村田勝喜]]、[[山野和明]]との交換で[[前原博之]]とともに[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]に移籍。機動力野球を掲げる西武に欠かせない戦力となり、外野手あるいは[[二塁手]]として先発出場する一方、現役晩年は[[代走]]の専門として活躍した。
 
{{by|2002年}}に選手兼守備走塁コーチとなるがこの年限りで引退。引退セレモニーが行われた。翌{{by|2003年}}からはコーチ専任となり、自身の走塁術を後進に伝授する傍ら、試合では三塁ベースコーチを務めた。{{by|2007年}}オフ、監督の[[伊東勤]]の辞任と同時に解任となる。
 
{{by|2008年}}から{{by|2012年}}[[北海道日本ハムファイターズ]]の一軍外野守備走塁コーチ、2013年からは伊東勤が監督に就任した[[千葉ロッテマリーンズ]]の一軍外野守備走塁コーチを務める<ref>[http://www.marines.co.jp/news/detail/10386.html 清水雅治氏 一軍外野守備・走塁コーチ就任のお知らせ] - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2012年11月7日</ref>
 
==詳細情報==
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