「昌原郡」の版間の差分

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== 歴史 ==
:''[[馬山市#歴史]]・[[昌原市#歴史]]・[[鎮海区 (昌原)#歴史]]も参照のこと。''
 
=== 前近代 ===
[[新羅|統一新羅]]時代には良州に属し、屈自郡(のち義安郡)が置かれた。現在の馬山は骨浦県(のち合浦県)と呼ばれて義安郡の属県であったが、高麗時代に義安郡・合浦県は同格の郡県として金州に属した。
 
[[李氏朝鮮|朝鮮王朝]]時代の1408年、義昌郡(義安郡から改称)と会原県(合浦県から改称)が統合されて'''昌原府'''となることで、昌原の地方官名と地名がうまれた。朝鮮王朝時代を通じて、この行政区は南海に面した要衝として、昌原都護府を経て'''昌原大都護府'''に昇格していった。
 
=== 近代 ===
 
=== 大韓民国成立後 ===
大韓民国成立後、1955年に鎮海邑が'''[[鎮海区 (昌原市)|鎮海市]]'''として分離。1970年代、昌原面・上南面・熊南面は[[馬山市]]に併合されたのち昌原新都市として開発が行われ、1980年に'''[[昌原市]]'''となった。このため、西部・北部・東南部に分散して残った郡部は'''義昌郡'''に改名した。東南部の熊東洞が鎮海市に、天加洞(加徳島)が釜山広域市江西区にそれぞれ編入された後、1991年に再び'''昌原郡'''に改名。1995年1月1日、西部の5面が馬山市に、北部の3面が昌原市に統合され、昌原郡は消滅した。
 
=== 年表 ===
* [[新羅|統一新羅]] - 屈自郡が置かれた。
* [[775年]] - 屈自郡が義安郡に改称。
* [[1282年]] - 義安郡が義昌郡に改称。
* [[1895年]]5月26日 - 地方制度改革によって昌原郡・鎮海郡・熊川郡となり、晋州府に所属([[二十三府制]])。
* [[1896年]]8月4日 - 二十三府制が廃止され、慶尚南道に所属。
* [[1899年]]5月1日 - [[馬山市|馬山]]が開港。
* 1899年5月6日 - 昌原郡が'''昌原府'''に昇格。
* 1903年7月3日 - 昌原府が'''昌原郡'''に改称。
* 1906年9月24日 - 昌原郡が'''昌原府'''に改称。
* 1908年 - [[鎮海郡]]・[[熊川郡]]および[[金海市|金海郡]]の一部(大山面)・[[晋州市 (慶尚南道)|晋州郡]]の一部(良田面)・[[漆原郡]]の一部(亀山面)が昌原府に編入。
* 1910年10月1日 - 昌原府が'''馬山府'''に改称。
* 1910年12月27日 - 鎮海が軍港に指定される。
* 1912年1月 - 熊中面・熊西面が合併し、鎮海面が発足。
* 1914年8月1日 - 郡面併合により、馬山府の開港地周辺の各国居留地および外西面が新たな[[馬山市|馬山府]]として分離。馬山府の残りの部分が'''昌原郡'''に改編。昌原郡に以下の面が成立。(15(15))。
** 鎮田面・鎮北面・鎮東面・亀山面・内西面・大山面・東面・北面・府内面・上南面・熊南面・鎮海面・熊邑面・熊東面・天加面
* 1918年1月 (15(15)
** 府内面が昌原面に改称。
** 熊邑面が熊川面に改称。
* 1931年4月1日 - 鎮海面が鎮海邑に昇格。(1(1邑14面))。
* 1942年10月1日 - 昌原面・内西面・亀山面のそれぞれ一部が馬山府に編入。(1(1邑14面))。
* 1955年9月1日 - 鎮海邑が市制施行し、[[鎮海区 (昌原市)|鎮海市]]となり、郡より離脱。(14(14))。
* 1973年7月1日 (10(10)
** 昌原面・上南面・熊南面および内西面・亀山面の各一部が[[馬山市]]に編入。
** 熊川面が鎮海市に編入。
* 1980年8月1日 - 昌原郡が'''義昌郡'''に改称。(10(10))。
* 1983年2月15日 - 熊東面が鎮海市に編入。(9(9))。
* 1989年1月1日 - 天加面が[[釜山広域市|釜山直轄市]][[江西区 (釜山広域市)|江西区]]に編入。(8(8))。
* 1991年1月1日 - 義昌郡が'''昌原郡'''に改称。(8(8))。
* 1995年1月1日
** 東面・北面・大山面が[[昌原市]]と合併し、新・昌原市が発足。
** 内西面・亀山面・鎮東面・鎮北面・鎮田面が馬山市と合併し、新・馬山市が発足。
** 同日、昌原郡消滅。