「カワサキ・モータース・レーシング」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
修正
15行目:
2004年は[[中野真矢]]と[[アレックス・ホフマン]]のペアとなり、マシンもリニューアルされ非常にコンパクトになった。中野が[[ツインリンクもてぎ|もてぎ]]で3位表彰台に立つ活躍を見せ、シリーズ10位に入った。ホフマンはシリーズ15位だった。
 
{{MGP|2005}}は中野とホフマンのペアが継続となった。ホフマンは何回か怪我ケガで欠場することになり、[[オリビエ・ジャック]]が代役を務めた。ジャックは雨の[[上海インターナショナルサーキット|上海]]で2位表彰台に立ち、カワサキの最高峰クラスでのベストリザルトを更新した。中野は表彰台には登れなかったもののコンスタントにシングルフィニッシュを果たしシリーズ10位、ジャックがシリーズ17位、ホフマンがシリーズ19位となった。
 
{{MGP|2006}}は中野と[[ランディ・ド・プニエ]]のペアとなった。中野は[[TTサーキット・アッセン|ダッチTT]]で2位表彰台を獲得する活躍を見せたが、転倒リタイヤも多く、シリーズ14位に終わった。ド・プニエはシリーズ16位だった。
2006年のシーズン終了後、ハラルド・エックルが他チーム([[イルモア]]<ref>http://www.intellimark.co.jp/bikeArticles/2007/news20070204001.html</ref>)と深く関わりを持ち、技術情報をリークした疑いが持ち上がったため、カワサキはエックルとの契約を急きょ打ち切った。
 
== カワサキ・モータース・レーシング (2007-2008) ==
34行目:
}}
[[file:Kawasaki ZX-RR 2007TMS.jpg|thumb|250px|right|2007年型ZX-RR]]
エックルとの契約を打ち切った後、カワサキは新しい子会社「'''カワサキ・モータース・レーシング'''」を立ち上げ、依田一郎の指揮の下、{{MGP|2007}}シーズンからは純ワークスチームとしてMotoGPへの参戦を継続していくことになった。レギュレーションの変更により排気量が800ccに縮小されたZX-RRを駆ったのは当初ド・プニエとジャックのペアだったが、ジャックは転倒による怪我ケガなどを理由にシーズン途中で現役を引退する。代わって[[アンソニー・ウエスト]]が後半戦のライダーを務めた。ド・プニエは転倒が多かったものの完走したレースのほとんどはシングルフィニッシュであり、日本GPでは2位表彰台を獲得。フランスGPでは転倒に終わったものの雨の中首位を単独走行するなどの活躍を見せ、シリーズ11位に入った。ウエストはシーズン途中からの参戦ながら安定した成績を収め、参戦したレース全てを完走、最終戦以外は全てポイントを獲得し、シリーズ15位に入った。
 
翌{{MGP|2008}}はド・プニエに代わり前年度シリーズ4位の[[ジョン・ホプキンス]]が[[スズキ・MotoGP|スズキ]]より移籍し、また新たに栄養ドリンクの[[:en:Monster Energy|モンスター・エナジー]]をスポンサーに獲得し、初優勝が期待された。しかしホプキンスは開幕前テストでの転倒・負傷によりテスト不足、シーズン前半は転倒による怪我ケガで3つのレースを欠場、その上3度のメカニカルトラブルもあって成績は低迷。怪我ケガから復帰したシーズン後半もむしろ低迷の度を深め、ホプキンスはシングルフィニッシュすらできなくなってしまい、シリーズ16位に沈んだ。一方のウエストもホプキンス中心に開発されたマシンに全く馴染なじめず、最下位走行を強いられることが多かった。シーズン前半はポイント獲得もおぼつかなかったが、第12戦チェコGPより昨年型のフレームに戻して以後何とかポイントを獲得できるようになり、皮肉にもレースによっては開発の進んだはずの今年型に乗るホプキンスよりも前でフィニッシュし、シリーズ18位で終えた。
 
== ハヤテ・レーシング (2009) ==
52行目:
}}
[[file:Marco Melandri 2009 Donington.JPG|thumb|250px|right|2009年型ZX-RRを駆るメランドリ]]
大きく低迷した2008年の成績を受け、{{MGP|2009}}には車体・エンジン共に刷新されることとなった。 ライダーも[[ドゥカティ・コルセ|ドゥカティ]]より[[マルコ・メランドリ]]を迎え、2年目のホプキンスと合わせて強力なラインアップとなるはずであった。 だが、2008年秋の[[リーマンショック]]に端を発する[[世界同時不況]]の影響により、2009年1月9日、「経営資源の効率的な再配分」を名目にカワサキはMotoGP参戦活動の一時休止を発表した<ref>[http://www.khi.co.jp/khi_news/2009data/c3090109-1.htm]</ref>。これにより、MotoGPカワサキレーシングチームは解散。ホプキンスとメランドリはシートを喪失することとなった。
 
しかし、MotoGPの興行権を持つドルナ社とカワサキの契約は2011年まで残っており、協議の結果、すでに完成していた2009年型ZX-RRをプライベートチームに供給する形で2009年も参戦することになった。チームスタッフの一部は再び招集されプライベーター「'''ハヤテ・レーシング'''」として再編された。依田一郎が引き続きチームを指揮し、ライダーはメランドリのみ、1台体制での参戦であった<ref>http://www.motogp.com/ja/news/2009/Melandri+in+Qatar+for+his+first+test</ref>
 
カワサキによるマシンの開発は2009年3月一杯で終了し、その後はエンジンのメンテナンスとサポートのみが行われた<ref>http://www.motorcyclenews.com/MCN/sport/sportresults/mcn/2009/march/16-22/mar1709-kawasaki-to-cease-motogp-development/</ref>。MotoGP参戦活動を担当してきた川崎重工汎用機カンパニーの「モトGP部」も同年4月1日付けで廃止されている。開発の止まったマシンで厳しい戦いを強いられるものの雨のフランスGPでは2位表彰台を獲得するなどの活躍を見せ、シリーズランキング10位という成績を残した。
 
== フォワード・レーシング (2010) ==
71行目:
Riders_champ= - |
}}
2009年をもってカワサキのマシンでのMotoGPクラスへの参戦は終了したが、ハヤテ・レーシングは活動を継続し、アンドレア・ドソリを代表に'''フォワード・レーシング'''と名前を変え、{{MGP|2010}}から始まったMoto2クラスに参戦を開始した<ref>http://www.bikeracing.it/mgp/20340_moto2-il-team-hayate-diventa-forward-racing/</ref>。シャシーは元グランプリライダーの[[エスキル・スッター]]率いるスッター・レーシング・テクノロジー(SRT)のものを使用する。SRTは2004年から2006年にかけて、ZX-RRのシャシーデザイン・開発を請け負った経験があるという、カワサキとは縁のある会社である<ref>http://www.suterracing.com/en/motorsport.html</ref>。[[ジュール・クルーセル]]が、[[2010年のイギリスグランプリ (ロードレース)|2010年のイギリスGP]]でチームに初優勝をもたらした。なお、一部チームスタッフはカワサキレーシングチームから引き継いではいるものの、カワサキとの関係は全くくなっている。2012年moto2クラスに加えて、レギュレーション改定によって制定されたCRTレギュレーションを使用してmotoGPクラスへと[[コーリン・エドワーズ]]を擁し、スッターのシャーシを使用し参戦する予定である。
 
== カワサキ・スーパーバイク・レーシング (2009-) ==