「鳥海山大物忌神社」の版間の差分

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'''鳥海山大物忌神社'''(ちょうかいさんおおものいみじんじゃ)は、[[山形県]][[飽海郡]][[遊佐町]]にある[[神社]]。[[出羽国]][[一の宮|一宮]]、[[式内社]]([[名神大社|名神大]])、旧[[社格]]は国幣中社で、戦後、[[神社本庁]]の[[別表神社]]となった。[[鳥海山]]頂の本社と、麓の吹浦と蕨岡の2か所の口之宮(里宮)の総称として大物忌神社と称する
 
==概要==
独立峰[[鳥海山]]頂の本社と、麓の吹浦と蕨岡の2か所の口之宮(里宮)の総称として大物忌神社と称する。出羽富士、鳥海富士とも呼ばれる[[鳥海山]]を[[神体山]]とする。鳥海山は、古代には国家の守護神として、また古代末期から中世および近世を通じては出羽国における中心的な山岳信仰の中心として現在の山形県[[庄内地方]]や[[秋田県]][[由利郡]]および[[横手盆地]]の諸地域など周辺一帯の崇敬を集め、特に近世以降は農耕神として信仰されてきたが、当社は鳥海山の[[山岳信仰]]の中心を担ってきた当社は、古代から中世、近世の宗教や信仰の実態を知るうえで貴重であるとしおり、[[平成]]20年([[2008年]])3月28日に神社[[境内]]が国の史跡へ指定されている。
出羽富士、鳥海富士とも呼ばれる[[鳥海山]]を[[神体山]]とする。境内地は[[2008年]]([[平成20年]])国の[[史跡]]に指定された。
 
==祭神==
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== 歴史 ==
=== 創建 ===
[[景行天皇]]または[[欽明天皇]]時代の創建と伝えられる<ref name="shaden">社伝では[[景行天皇]]の時代に出現し、[[欽明天皇]]25年([[564年]])鳥海山上に鎮座したとされる。[[永正]]7年([[1510年]])に著された『羽黒山年代記』では欽明天皇7年([[546年]])の出現としている。</ref>。『[[日本三代実録]]』[[貞観 (日本)|貞観]]13年([[871年]])5月16日の条にある[[出羽国|出羽]][[国司]]の報告から、飽海郡山上に大物忌神社があったことが確認できるが<ref>『日本三代実録』貞観13年(871年)5月16日の条には「'''出羽國司言。従三位勳五等大物忌神社在飽海郡山上。巖石壁立。人跡稀到。夏冬戴雪。禿無草木。去四月八日山上有火。'''」と記述されている。この記述では、大物忌神社の鎮座地は飽海郡にある山の上としか分からないが、『山形県史 通史編第1巻 原始・古代・中世編』では、四時雪を戴いて草木も生えず、登山困難な高山で、しかも4月8日に噴火したとあるので鳥海山と推定される、と述べている。山形県 『山形県史 通史編第1巻 原始・古代・中世編』 山形県 1979年3月 より。</ref>、それ以前の記録は欠けているため創建時期は特定できない。また、山頂社殿が噴火焼失と再建を繰り返しているため[[分霊|勧請]]についても諸説生じさせている。
 
=== 夷征と大物忌神 ===
[[越国]]より始められた夷征は、[[慶雲]]から[[和銅]]の頃に[[庄内地方|庄内]]以北の着手に至ったが、当時この地方は原生林に覆われ、また南方を追われた[[蝦夷]]が群居し、常に噴煙を吐き時々大爆発する[[鳥海山]]が時々大爆発する状況の存在夷征に着手した朝廷軍にとって戦慄すべきもの脅威であった。そのような状況で、もともと日本においてでは[[山岳信仰]]盛んだった背景もあったが、前述の状況から、朝廷は鳥海山の爆発が夷乱と相関していると疑うに至ったのではないか、と『名勝鳥海山』<ref name="choukai">安斎 徹・橋本賢助・阿部正巳 『山形郷土研究叢書第7巻 名勝鳥海山』 国書刊行会 1982年11月 より。</ref>では推測している。
 
前述の『日本三代実録』貞観13年(871年)5月16日の条にある[[出羽国|出羽]][[国司]]からの報告には、さらに以下の記述がある。
 
{{Quotation|4月8日に噴火があり、土石を焼き、雷鳴のような声を上げた。山中より流れ出る河は青黒く色付いて泥水が溢れ、耐え難いほどの臭気が充満している。死んだ魚で河は塞がり、長さ10[[丈]](約30m)の大蛇2匹が相連なって海へ流れていった。それに伴う小蛇は数知れずである。河の緑の苗は流れ損ずるものが多く、中には濁った水に浮いているものもある。古老に尋ねたところ、未曾有の異変であるが、[[弘仁]]年間に噴火した際は幾ばくもせず戦乱があった、とのことであった。そこで報告を受けた朝廷が[[陰陽寮]]にて占いを行ったところ、結果は全て、出羽の名神に祈祷したが後の報祭を怠り、また墓の骸骨が山水を汚しているため怒りを発して山が焼け、この様な災異が起こったのだ。もし鎮謝報祭を行わなければ戦乱が起こる、と言うものであった。そこで奉賽を行うと共に神田を汚している家墓骸骨を除去せよと国守に命じた。》<br />}}
この記述は鳥海山噴火が兵乱の前兆であると信じられていたことを覗わせている、と『名勝鳥海山』<ref name="choukai" />では述べている。
 
元来、鳥海山は山名が無く<ref>いつごろから鳥海山と呼ばれたかは定かでないが、[[暦応]]5年([[1342年]])7月26日、藤原守重が息災延命の意趣をもって奉納した[[鰐口]]銘に、鳥海山とあるものが文字として確認できる最古のものである。</ref>、山そのものが大物忌神と称されていた。物忌とは斎戒にして不吉不浄を忌むと言うことであり、山の爆発は山神が夷乱凶変を忌み嫌って予め発生させるものだと朝廷は考えたこの山神を大物忌神と称した所以であると『名勝鳥海山』<ref name="choukai" />では考察している。また同書では、山神の怒りを鎮め、その力を借りて夷乱凶変を未然に防ごうとした一例として、『[[日本紀略]]』[[天慶]]2年([[939年]])4月17日の条にある[[天慶の乱 (出羽国)|秋田夷乱(天慶の乱)]]発生の報が到達した際、朝廷で物忌が行われた<ref name="geki">『[[外記|外記日記]]』の記述による。</ref>ことを挙げている。みに『[[本朝世紀]]』[[天慶]]2年([[939年]])4月19日の条には、大物忌明神の山が噴火したとの記述がある。
 
=== 鳥海山の神威と神階昇叙 ===
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=== 明治以降 ===
[[明治]]元年([[1868年]])国教政策により[[神仏分離|神仏分離令]]が出されたことから神式をもって奉仕することとなによ当神社は大物忌神社に復した。明治4年([[1871年]])吹浦宮が[[近代社格制度|国幣中社]]に指定されたが、かつての一宮争いのこともあり、明治14年([[1881年]])に山頂の宮を国幣中社に指定し直し、麓の吹浦および蕨岡の社殿を「口之宮」と定めた。『出羽三山と修験道 戸川安章著作集Ⅰ』<ref name="sanzan">戸川安章 『出羽三山と修験道 戸川安章著作集Ⅰ』 ㈲岩田書院 2005年2月 より。</ref>によれば、吹浦と蕨岡のそれぞれに国幣中社大物忌神社の社務所を置き、宮司は吹浦に駐在するが、本殿への奉幣は両社務所が1年交替で行う改めたのだと言う。
 
さらに同書によれば、[[第2次世界大戦]]後に[[社格#近代社格制度|旧社格]]が廃止されると、改めて吹浦を口之宮と定めて社務所をここに置き、蕨岡は摂社として遇される至ったのだと言う。[[昭和]]30年([[1955年]])社名を三社併せた総称として「鳥海山大物忌神社」へ改称し、現在は[[神社本庁]]が包括する[[別表神社]]となっている。
 
独立峰鳥海山は、古代には国家の守護神として、また古代末期から中世および近世を通じては出羽国における中心的な信仰の山として現在の山形県[[庄内地方]]や[[秋田県]][[由利郡]]および[[横手盆地]]の諸地域など周辺一帯の崇敬を集め、特に近世以降は農耕神として信仰されてきたが、鳥海山の[[山岳信仰]]の中心を担ってきた当社は、古代から中世、近世の宗教や信仰の実態を知るうえで貴重であるとして、[[平成]]20年([[2008年]])3月28日に神社[[境内]]が国の史跡へ指定されている。
 
== 境内の風景 ==
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* [http://www9.plala.or.jp/thoukai/ 鳥海山大物忌神社]
* [http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index_pc.asp 国指定文化財等データベース]
 
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