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{{出典の明記|date=2012年10月22日 (月) 07:16 (UTC)}}
{{日本の寺院
|名称 = 蟹満寺
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}}
 
'''蟹満寺'''(かにまんじ)は、[[京都府]][[木津川市]]山城町綺田(かばた)にある[[真言宗智山派]]の[[寺院]]。山号は普門山。本尊は縁起によればかつては[[観音菩薩]]であった[[観世音菩薩]]は現在観音堂に安置され、[[国宝]]は飛鳥時代後期(白鳳期)銅造[[釈迦如来]]坐像(国宝)が本尊となっている。
 
==由緒歴史==
この寺の創建年代や由緒についてはついては不詳であるが、周辺の発掘調査から[[飛鳥時代]]後期(7世紀末)の創建と推定されている。その後、[[江戸時代]]の[[正徳_(日本)|正徳]]元年([[1711年]])[[智積院]]の僧亮範が入寺し再興された。[[今昔物語集]]等に記載がある蟹の恩返しの[[伝承]]で有名である。
 
寺の所在地の地名綺田(かばた)は、古くは「カニハタ」「カムハタ」と読まれ、「蟹幡」「加波多」などと表記された。寺号についてもかつては加波多寺、紙幡寺などと表記されたものが蟹満寺と表記されるようになり、蟹の恩返しの伝説と結びつくようになったものである。この伝説が『今昔物語集』に収録されていることから、蟹満寺の寺号と蟹の報恩潭との結びつきは平安時代後期以前にさかのぼることがわかる<ref>『浄瑠璃寺と南山城の寺』(日本の古寺美術18)、p.172</ref>。
 
上記の蟹の報恩潭は観音霊験説話であり、当寺の山号の普門山も法華経の観世音菩薩普門品に因むものであることから、当寺の本来の本尊は観音菩薩であったとみられる。現在も寺の入口付近に観音堂があるが、本尊は釈迦如来に変わっている。本尊の銅造釈迦如来坐像(像高240㎝)は飛鳥時代後期(白鳳期)の作であるが、造像の由緒は不明で、当初から蟹満寺にあったものか、他の寺院から移されたものかについては諸説ある<ref>『浄瑠璃寺と南山城の寺』(日本の古寺美術18)、p.173</ref>。
 
==伽藍==
発掘調査によると飛鳥時代後期(7世紀末)の創建当初は広大な寺域の寺院であったようであとみられるが現在は本堂、観音堂等を残すのみである。
[[Image:Kanimanji Kyoto JPN 004.JPG|thumb|right|240px|寺号]]
 
==文化財==
[[Image: Shakyamuni Bronze KANIMANJI.JPG|thumb|right|100px150px|釈迦如来座像頭部]]
*銅造[[釈迦如来]]坐像([[国宝]])
:像高240.0㎝。本来は鍍金がほどこされていたが、頬のあたりに鍍金の痕跡を残すのみで像表面は黒色を呈する。右手は胸の辺に上げ第一指と第二指で輪をつくり、左手は掌を上にして膝上に置き、第三指を軽く曲げる(ただし、第三指の半ばから先は木製の後補)。材質、像高、前述の両手の印相などの図像的特色を含め、奈良・[[薬師寺]]金堂薬師三尊の中尊薬師如来像との類似が指摘される(薬師寺像の像高は254.7cm)。様式的には[[興福寺]]仏頭(もと[[山田寺]]講堂本尊、685年開眼)と薬師寺像の中間に蟹満寺像を位置付けるのが通例であるが、天平期(8世紀)に入っての作とみなす説もある。<ref>『浄瑠璃寺と南山城の寺』(日本の古寺美術18)、pp.174 - 180; 『週刊朝日百科 日本の国宝』75号、pp.'''8''' - 149 - '''8''' - 150</ref>。
 
:本像の伝来については記録がなく、当初から現在地に安置されていたのか、他所から移座されたのかを含め、確かなことは不明である。寺伝では本像は綺田の東方山中にあった浄土宗の大寺院・光明山寺から移されたものとする。これに対し、足立康は、本像は井堤寺(いでじ)にあったものとした。井堤寺は現在の[[綴喜郡]][[井手町]]にあり、同地にあった[[橘諸兄]]の別業に付属した寺院である。足立説ではこの井堤寺を光明寺とも号したことから、前述の光明山寺と混同されたのではないかとする。他に蟹満寺像の旧所在については、山城国分寺にあったとする説(杉山二郎)、高麗寺(木津川市山城町上狛に跡がある)にあったとする説(角田文衛)などがある<ref>『浄瑠璃寺と南山城の寺』(日本の古寺美術18)、pp.180 - 186</ref>。2005年に実施された蟹満寺境内の発掘調査では本像の台座は創建時から動いていないとされ、本像は1300年間動いていないとされた。しかし、2008年の再調査で、台座下には江戸時代の地層があり、台座も江戸時代の墓石を転用したものであることが判明した<ref>[http://www.47news.jp/CN/200803/CN2008031901000885.html 「1300年不変揺らぐ? 京都・蟹満寺の国宝坐像」]</ref>。
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
* 肥田路美『浄瑠璃寺と南山城の寺』(日本の古寺美術18)、保育社、1987
*『週刊朝日百科 日本の国宝』75号、朝日新聞社、1998
 
== 外部リンク ==
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[[Category:京都府の寺]]
[[Category:日本の国宝 (彫刻)]]
[[Category:京都府の重要文化財]]
[[Category:木津川市]]