「8時だョ!全員集合」の版間の差分

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毎回のように[[三船敏郎]]、[[若山富三郎]]、[[菅原文太]]、[[加山雄三]]、[[田宮二郎]]などの大物[[俳優]]や、当時の売れっ子[[アイドル]]を呼び、しかも彼らが積極的にコントに参加するなど、かなりの予算と労力を要した。放送2日前からドリフメンバーやスタッフによる打ち合わせを行ったり(もちろんその間、メンバー全員この番組の準備に集中)、「番組がスランプに陥っている」と言う理由で、通常のレギュラー放送を一時休止して(その間は総集編を放送)、ドリフメンバーによる「合宿」までしたという。この様に莫大な労力を費やして制作していた番組であった上、タレントのギャラの高騰などによる費用面の問題・タレントに掛ける保険の費用高騰・安全性の問題・その後の様々な表現規制・芸能事務所の生放送番組に対するスタンスの変化<ref>現在では、タレントの生放送での不用意な問題発言によるタレントイメージの瑕疵の発生を芸能事務所が警戒する様になっている。</ref>などといった業界事情の変化により、現在ではこの様な規模の公開放送番組を毎週1回のペースで作ることは極めて困難であり、かつてドリフの[[マネージャー]]を務め、現在ドリフメンバーが所属する[[イザワオフィス]]社長の[[井澤健 (芸能事務所社長)|井澤健]]も『[[週刊新潮]]』の[[インタビュー]]で「時代が変わりすぎて、現在ではもう再現不可能な要素が多すぎる」と語っている。
 
平均視聴率27.3%、最高視聴率は[[1973年]][[4月7日]]放送の50.5%([[ビデオリサーチ]]調べ、[[関東地方|関東地区]]にての数値)。最盛期には40〜50%の[[視聴率]]を稼ぎ「'''お化け番組'''」「'''怪物番組'''」と呼ばれ、[[視聴率#土曜8時戦争|土曜8時戦争]]と呼ばれる視聴率競争にあっても絶対王者として君臨する存在であった。また、この番組が全盛期を迎えていた頃は、TBSでは土曜夜の[[プロ野球中継]]が組まれる事はほとんど無かった。『[[料理天国]]』、『[[まんが日本昔ばなし]]』([[MBSテレビ|MBS]]制作)、『[[クイズダービー]]』、『[[Gメン'75]]』、『[[古谷一行の金田一耕助シリーズ]]』(MBS制作)と共にTBSの1970年代から1980年代の土曜夜の黄金期を誇ったが、[[1981年]]春からスタートした[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の裏番組『[[オレたちひょうきん族]]』の台頭により、[[1982年]]ごろ中頃から番組人気に陰りが見え始め、10月2日の放送回で初めて『ひょうきん族』に視聴率を抜かれる。以降は視聴率争いに苦戦、[[1983年]]8月13日に視聴率で初の1ケタ(9.2%)を喫した。以降は視聴率が10%後半くらいが平均となり、『オレたちひょうきん族』と抜きつ抜かれつ視聴率争いを繰り広げるが、[[1985年]]に入ってからはほぼ後塵を拝した。そして遂に土曜夜8時枠の抜本的な見直しにより[[1985年]][[9月28日]]に16年の歴史に幕を下ろした。TBSは1985年7月19日の終了発表の中で「生放送を公開形式でやっていくことには限界があった。ナンセンスギャグもやり尽くした」ことを理由に挙げていた<ref>『朝日年鑑1986』p.331。</ref>。
 
その後、1985年[[10月5日]]は約2時間枠で[[電話リクエスト]]形式で過去の名場面集を放送したのち、年内いっぱいは[[総集編]]番組『'''ドリフフェスティバル・全員集合ベスト100'''』でつなぎ、[[1986年]]1月から同じくドリフの[[加藤茶]]と[[志村けん]]をメインに据えた『[[加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ]]』が始まった。ドリフメンバーがメインの番組は[[1992年]]9月の『[[KATO&KENテレビバスターズ]]』の終了まで続いた<ref>バラエティ枠としては[[2008年]][[2月9日]]の『[[地球!ジオグラTV]]』終了まで約38年半続き、同年4月からは[[TBS土曜8時枠の連続ドラマ|ドラマ枠]]になったものの、[[2010年]]11月開始の『[[奇跡ゲッター ブットバース!!]]』からは再度バラエティ枠になった。</ref>。