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'''巨大科学'''(きょだいかがく、{{Lang-en-short|Big Science}})とは、多の[[研究者資金]]を投じたり、の[[資金研究者]]を必要とす動員して行われ[[自然科学]][[研究]]分野プロジェクトのこと。'''ビッグサイエンス'''ともいう。[[国家]]または国際的な[[規模]]になるものも多く、[[宇宙開発]]、[[原子力]]開発などがこれに当たる
{{出典の明記|date=2011年10月}}
'''巨大科学'''(きょだいかがく、{{Lang-en-short|Big Science}})とは、多数の[[研究者]]と多額の[[資金]]を必要とする[[自然科学]]の[[研究]]分野のこと。'''ビッグサイエンス'''ともいう。[[国家]]または国際的な[[規模]]になるものも多く、[[宇宙開発]]、[[原子力]]開発などがこれに当たる。
 
== 概説 ==
しかし、その[[成果]]が莫大な資金および[[資源]]を費やすほどの[[価値]]のあるものであるかということは自明ではないことから、[[池田清彦]]のように否定的な[[学者]]もいる。
[[自然科学]]というのは[[自然哲学]]の中から生まれたものであるが、それはもともとは(主として、“自然をおつくりになられた神様の意図”を知ろうとするといった自然哲学的な動機などによって)僧侶や貴族の身分の人(生活の安定した余裕のある人)が、個人的な知的関心を満たすためあるいは趣味として、つつましやかに行っていたものであったが、19世紀ごろに、哲学の中から従来の知識とは少し毛色の異なった知識のかたちが生まれ、そうした知識の担い手([[科学者|scientist]])らが世間に対して行ったデモンストレーションや政治的なかけひきによって、少しづつ人々にその価値を認められ、当時の大学制度に一部組み込まれたり、一部は企業から何がしかの資金を得て研究を行うようになったのであった。そうした科学の性格を大きく変えることになったのは、[[20世紀]]に起きた2度の[[世界大戦]]であった<ref name="tetsushiso">哲学思想事典 p.357</ref>。国家と国家が戦う中で、科学技術を用いた兵器などがその勝敗に大きな影響を及ぼした場面がいくつもあったことで、[[科学技術]]が[[経済]]的・[[政治]]的・[[軍事]]的な命運を左右するものになったと人々から考えられるようになり、それによって科学は国家体制に組み込まれることになったのである<ref name="tetsushiso" />。こうして[[政府]](あるいは政府と大きく癒着した[[大企業|巨大企業]]など)は、スポンサーとして科学者らに資金を提供すると同時にその研究内容の選択に関して意見をするようになり<ref name="tetsushiso" />、特に科学の先端的な部分は巨大化され軍事的なものとなった<ref name="tetsushiso" />。かくして、研究活動の動機は、かつて科学が生まれたころのそれとはかなり異なったものになってしまい、軍事的・政治的な特定の目標を達成するためのプロジェクトとして構想されるようになり<ref name="tetsushiso" />、(何がなんでも戦争に勝ち、他国を圧倒しようとする政府の意図によって、規模的にも)国家規模の莫大な資金と巨大な組織が投入されるようになった<ref name="tetsushiso" />。
 
こうした流れに決定的な影響を及ぼしたものとして、[[第二次世界大戦]]中にアメリカ合衆国が行った原子爆弾製造プロジェクト、いわゆる「[[マンハッタン計画]]」が挙げられる<ref name="tetsushiso" />。これによって米国が世界で覇権を得たのを目の当たりにした各国は、このマンハッタン計画を、科学技術政策の“お手本”([[モデル]])としてもちいるようになった<ref name="tetsushiso" />。また、1960年代に[[米国]]と[[ソ連]]が、政治的な意図のもとに行った[[宇宙開発競争]]も人々に大きな心理的な影響を及ぼした<ref name="tetsushiso" />。こうして、巨額の費用と巨大な組織が投入される流れができてしまったのである。
<!-- == 脚注 ==
 
[[Image:Fermilab.jpg|right|thumb|160px|[[テバトロン]]の空中写真]]
一旦できたこうした流れは、マンハッタン計画、[[核融合]]計画、宇宙開発などといった応用科学的な分野にとどまらず、[[基礎科学]]の分野でまで起きることになった<ref name="tetsushiso" />。高エネルギー物理学の領域で、巨大な粒子[[加速器]]の建設に、数千億円から1兆円を超えるような資金が投入され、維持・運転にも莫大な資金が使われるようになった<ref name="tetsushiso" />(この巨大な資金というのは、もとを辿ると人々から集められた税金である)。
 
こうした巨大科学というのは、往々にして、科学者らによる宣伝(「(かつての○○計画のように)技術的な波及効果があるはずだ」「国家の威信に貢献する」などといった宣伝)や、そうした宣伝文句を真に受けた人々の心に生まれた期待によって推し進められてきた<ref name="tetsushiso" />。
 
だが実際には巨大科学は問題を孕んだものであった。たとえば科学者の視点から見ても、科学のごく一部にすぎない特定の分野にばかりに莫大な資金が投入されるということは、それによって、それ以外の科学の様々な分野にお金が充分に供給されなくなる、という結果を招く、といった批判がされるようになった<ref name="tetsushiso" />。(例えば、巨大加速器たったひとつに1兆円が費やされてしまうということは、結果としてその陰で、例えば10億円規模でできる様々な科学研究が1000個も、その研究資金を得る機会を失う、ということになる)
 
さらに国民が出した税金によって成り立っている国家[[財政]]というのは決して“魔法の槌”のようなものではなく、何ごとにも限界や適切な規模というものはあるように、科学に割り当てる予算にも限界や適切な規模というものはある。また国家の経済が無限に膨張しつづけるということはなく、ある一定の規模に留まったり、縮小してゆくこともある。巨大科学が国家財政や国民生活に少なからず悪影響を及ぼしていることが人々に認識されるようになると、政府の側からも予算の見直しや計画の見直しが検討されるようになった。例えばアメリカ合衆国では[[SSC]]([[超伝導超大型加速器]])建設プロジェクトは中止との決定がなされた<ref name="tetsushiso" />(1993年)。
 
[[池田清彦]]によると、巨大科学というのは日本の公共工事に似ている<ref name="ikeda">池田清彦 『科学はどこまでいくのか』 筑摩書房、2006年、ISBN 978-4480422811 「巨大科学の問題点」</ref>。(かつてはそれなりの経済効果があったが)最近では意味がないものが多く、借金だけが累積するという最悪の構造になっている。(土木事業の例だと)もうかるのはゼネコンとそれに癒着した政治家だけであり、国と地方自治体の借金は膨大になっており、国民が税金を徴収される形でそれを払わなければならない状態であり、「大多数の国民にとってメリットよりデメリットの方がはるかに大きい」。一度、制度として作られたものを変化させることは、いかなる制度であっても容易ではなく、「公共事業が大変なお荷物になったのと同じように、巨大科学もまた、やっかいなお荷物にならない保証はない」と池田清彦は述べた<ref name="ikeda" />。
 
== 参考文献 ==
== 参考文献 == <!-- {{Cite book}} --> <!-- {{Cite journal}} -->
* 哲学思想事典、岩波書店、1998年、成定薫 執筆 p.357
 
<!-- == 脚注 ==
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== 参考文献 == <!-- {{Cite book}} --> <!-- {{Cite journal}} -->
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== 関連項目 ==
{{Commonscat|Big Science}}
* [[科学#現代科学の諸問題|現代科学の諸問題]]
* [[科学]]
 
== 関連文献 ==
== 外部リンク == <!-- {{Cite web}} -->
;単行本
{{節stub}}
* 吉岡斉『科学文明の暴走過程』海鳴社、1991
 
;他
{{Sci-stub}}
* 伏見康治「現代のだだっこ巨大科学」研究技術計画 6(4), 200-201, 1992-10-15 [http://ci.nii.ac.jp/els/110003776125.pdf?id=ART0004998270&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1352635314&cp=]
* 丹野清秋【今月の論説】人間に巨大科学技術を管理運営する能力はあるか?--[[動燃東海事業所火災爆発事故|動燃東海・再処理工場爆発事故]]の[[放射能汚染|放射能漏洩]]から」月刊フォ-ラム 9(6), 6-9, 1997-06
* 竹田保正「巨大科学を優先し、国立大学の基礎研究を冷遇した科学行政」科学 70(9), 700-705, 2000-09
* 日野川静枝「[[サイクロトロン]]開発の各国比較 : 巨大科学の起源を探る(科学史入門)」科学史研究. 第II期 45(237), 34-37, 2006-03-28
* 大沼淳一「原発には予防原則を--[[福島第一原子力発電所事故|福島原発事故]]が証明した巨大科学技術の限界性 (特集 [[脱原発|原発のない社会へ]]--現地から、世界から) 」ピープルズ・プラン (55), 110-116, 2011-09
* 橋山禮治郎「巨大科学技術開発はなぜ失敗するのか : 政策評価と国会の責任」世界 (828), 60-69, 2012-03
 
{{DEFAULTSORT:きよたいかかく}}
[[Category:科学史]]
[[Category:社会問題]]
 
[[ar:العلم الكبير]]