「寿司」の版間の差分

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[[中尾佐助]]著『栽培植物と農耕の起源』([[1966年]](昭和41年))では「[[ラオス]]の山地民や[[ボルネオ島|ボルネオ]]の焼畑民族」の焼畑農耕文化複合の一つとされている。[[篠田統]]著『すしの本』([[1970年]](昭和45年))は、東南アジアの山地民の魚肉保存食を寿司の起源と挙げ、高地ゆえ頻繁に入手が困難な魚を、長期保存する手段として発達したものとしている。[[石毛直道]]・ケネス・ラドル著『魚醤とナレズシの研究 モンスーン・アジアの食事文化』([[1990年]](平成2年))では、東北[[タイ王国|タイ]]や[[ミャンマー]]あたりの平野部を挙げ、水田地帯で稲作と共に成立した魚介類の保存方法が後に伝わったとしている。
 
中国で「鮨」の字は紀元前5 - 3世紀に成立した辞典『[[爾雅]]』に登場する。「魚はこれを鮨という。肉はこれを醢という」<ref group="注釈">実際の記述は、「肉謂之敗,魚謂之餒,肉曰脫之,魚曰斮之,冰脂也,肉謂之羹,'''魚謂之鮨''',肉謂之醢,有骨者謂之臡。」肉魚肉魚と順に説明している文の中にあるので、魚の羹(米の入ったスープ)であるかのようにも見えるが、現在のところ魚の醢と解釈されている([[狩谷エキ斎|狩谷棭斎]]「箋注倭名類聚抄」)。醢は後代の『説文解字』、また『[[周礼|周礼注疏]]』では麹と塩と酒で漬けたものとされている。魚の調理法についての詳細は載せられていない。「塩辛」が魚と塩だけで作られたものと考えるのは、想像まで。</ref>と対比され、鮨は魚の塩辛と篠田は解釈している<ref>{{Sfn|篠田(統|1966) |p=132頁。</ref>}}<ref group="注釈">ここで言う「塩辛」は篠田統の説にあるデンプン質を用いないもののこと。『釈名』の米を使うと言う説明との対比だが、爾雅の鮨にデンプン質を使わなかったと言うのは篠田統説で、根拠が示されておらず、爾雅にも記載されていない。</ref>。[[後漢]]の『[[説文解字]]』に「鮺は魚の蔵(貯蔵形態)」であるとし、䰼と鮺は同じとする一方、鮨は魚の䏽醬(塩辛)だとして区別した<ref>蔵克和、王平・校訂『説文解字新訂』(中華書局、[[2002年]](平成14年))773頁。篠田(1966)134頁</ref>{{sfn|篠田統|1966|p=134}}。鮺がどのような保存食かは不明だが、10世紀の[[徐カイ|徐鍇]]の注は「今俗に鮓に作る」としており<ref group="注釈">{{Cite book|和書|language=zh |editor=张舜徽・撰|volume=下 |year=1983 |title=説文解字約注』下( |publisher=中州画社出版、[[1983年]](昭和58年))、 |pages=35-36頁。?は表示不明の字。 |oclc=11235810 }}日本で9世紀末に編まれた『[[新撰字鏡]]』も、鮓の異字として䰼、鮺などを挙げる。{{Harv|篠田(統|1966)|p=134}}は「鮓は鮺の俗字」という部分を『[[説文解字]]』のものとして引用しているが、それは本文ではなく[[段玉裁]]『[[説文解字#説文解字注|説文解字注]]』の注である。</ref>、これをもって「鮓」の濫觴と言える。2世紀末成立の『[[釈名]]』で鮓は「葅。塩と米で葅のように醸し、熟してから食べる」とされている。葅は漬物のことである<ref>{{Sfn|篠田(統|1966) |p=135頁。</ref>}}。しかし、3世紀頃に編まれた『[[広雅]]』は鮨は鮓なりとして区別せず、東晋の[[郭璞]]による『爾雅注』も同じである<ref>{{Sfn|篠田(統|1966) |p=138頁。</ref>}}。篠田はさまざまな記録から「鮓」が中国の古い時代にはあまりポピュラーな食べ物ではなかったことを示し、「南方を起源とする外来食」、つまり東南アジアから伝わったものと位置付けている<ref>{{Sfn|篠田(統|1966) |pp=132-138頁。</ref>}}
 
日本における文献初見は『[[養老律令|養老令]]』(718年)の「賦役令」で、鰒([[アワビ]])鮓、貽貝([[イガイ]])鮓のほかに雑鮨が見える<ref>井上光貞・関晃・土田直鎮・青木和夫・校注『律令』(日本思想大系新装版、岩波書店、[[1994年]](平成6年)。初版[[1976年]](昭和51年))250頁。</ref>。『[[令義解]]』はこれに「鮨また鮓なり」と注解しており<ref>黒板勝美校訂『令義解』(新訂増補国史大系普及版、吉川弘文館、[[1968年]](昭和43年)。初版[[1939年]](昭和14年))115頁。</ref>、以後も日本では鮨と鮓が区別されず、ともにすしとされた<ref>{{Cite journal |author=櫻井信也 |year=2002 |title=日本古代の鮨(鮓)」(『 |journal=続日本紀研究』第 |volume= |issue=339号、[[2002年]](平成14年)) |pages= |publisher= |naid= |issn= }}</ref>。「[[正税帳]]」(729年-749年)にも見える。篠田統、石毛直道らによると、これは外から来たものであり、稲作文化とともに中国は[[長江]]あたりから九州に伝わったのではないか、とみている。「鮓」の読みは『新選字鏡』(899年-901年)で「酒志」、「鮨」の読みは『[[倭名類聚抄]]』(931年-938年)に「須之」とされている<ref name = "すしの事典"/>。
 
=== 日本の寿司 ===
 
== 出典 ==
{{reflist|2}}
 
== 参考文献 ==
{{参照方法|date=2012年11月}}<!--HarvやSfnなど使ってください。-->
{{Refbegin|2}}
*{{Cite book|和書
|authoreditor=二村隆夫監修
|date=2002-03
|title=丸善単位の辞典
|publisher=丸善
|isbn=978-4621049891
|ref=harv
}}
*{{Cite book|和書
|publisher=柴田書店
|isbn=
|ref=harv
}}
*{{Cite journal|和書
|journal=近代食堂
|publisher=旭屋出版
|ref=harv
}}
*{{Cite book|和書
|publisher=誠文堂新光社
|isbn=978-4416804438
|ref=harv
}}
*{{Cite book|和書
|title=すし物語
|publisher=井上書房
|ref=harv
}}
*{{Cite book|和書
|title=すしの話
|publisher=駸々堂出版
|ref=harv
}}
*{{Cite book|和書
|publisher=旭屋出版
|isbn=978-4751100387
|ref=harv
}}
*{{Cite book|和書
|publisher=成山堂書店
|isbn=4-425-82921-2
|ref=harv
}}
*{{Cite book|和書
|title=[[美味求真|続々美味求真]]
|publisher=中央公論社
|ref=harv
}}
*{{Cite book|和書
|date=1829
|title=[[誹風柳多留|柳多留]]
|ref=harv
}}
*{{Cite book|和書
|publisher=筑摩書房
|isbn=4-480-02456-5
|ref=harv
}}
*{{Cite book|和書
|publisher=晶文社
|isbn=4-7949-5803-X
|ref=harv
}}
*{{Cite book|和書
|title=すし調理師入門
|publisher=柴田書店
|oclc=703790997
|isbn=
|ref=harv
}}
*{{Cite book|和書
|title=すし技術教科書(江戸前ずし編)
|publisher=旭屋出版
|oclc=703791318
|ref=harv
}}
*{{Cite book|和書
|publisher=社会思想社
|isbn=4-390-60413-9
|ref=harv
}}
*{{Cite book|和書
|publisher=家の光協会
|isbn=4-259-53705-9
|ref=harv
}}
{{Refend}}
 
== 関連文献 ==
*{{Cite book|和書
[[Category:日本の魚介料理]]
[[Category:ハレの食事]]
{{Food-stub}}
 
{{Link GA|de}}
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