「ベンガル太守」の版間の差分

同年[[2月]]、シラージュ・ウッダウラはイギリスと、[[フーグリー]]で和平交渉を始めたが決着がつかず、クライヴは和平交渉の印象を残し宿舎に帰ったが、クライヴはベンガル軍に対し夜襲をかけ、不意を突かれたシラージュ・ウッダウラの軍勢は大混乱ののち四散した。
 
また、同年[[3月]]イギリスは、フランスのベンガルにおける拠点[[シャンデルナゴル]]に対し猛攻を加え、耐え切れなくなったフランスは降伏し、フランスはベンガルにおける権利は大幅に減重要な拠点を失った。このとき、その援軍である太守軍の司令官[[ナンダ・クマール]]は、すでにイギリスに買収されていた。
 
だが、フランスの味方であるシラージュ・ウッダウラは、彼のもとに逃亡したフランス人を保護し、フランスの味方である彼は、イギリスの引き渡し要求に応じなかった。
 
しかし、イギリスはこの頃、太守の味方である叔父ミール・ジャーファルと密かに内通し味方ににつけ、[[6月10日]]には、彼にシラージュ・ウッダウラへのいかなる行為にも非協力を条件に、ベンガル太守の位を約束していた。
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