「ベンガル太守」の版間の差分

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さらに、ミール・カーシムはベンガル軍の改革の成果をみるため、国境を接する隣国[[ネパール]]に密かに侵攻し、一応、ネパール軍を破ったがゲリラの抵抗が強く、領土を保持できず占領地からは撤退した。
 
無論、これら一連の出来事はミール・カーシムとイギリスとの関係を悪化させ、また問題となっていたのはこれだけではなく、1717年の勅令に基づいて行われていた、イギリス東インド会社社員による私貿易の関税も問題であった。
 
1717年にイギリスが、ムガル帝国の皇帝ファッルフシヤルから与えられたベンガルにおける関税の免除特権は、「船によって国に輸入され、もしくは国から輸出される品物について、会社の封印のある許可状を提示したもののみ関税を免除される。」というものだった。
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[[1763年]]、ミールカーシムは関税問題の解決策として、地元商人だけが不利にならぬよう、すべての商品関税を無税にさせる措置をとったが、イギリス側は「イギリス人の権利は守られねばならず、イギリス人以外のすべての商人は関税を支払わなければならない。」と主張し、関税を廃止するという命令は撤回されるべきであるとし、イギリス側の使者[[アミャット]]にこれを伝えさせた。
 
これに対し、ミール・カーシムは「すべての要求を受け入れる余裕用意はあるが、唯一の条件はベンガルからすべてのイギリス人兵士がいなくなることだ。」と言い、折り合いがつかなかった。
 
時を同じくして、パトナにあるイギリス工場の工場長[[エリス]]は、関税をめぐってベンガルとトラブルを起こし、腹いせに[[パトナ]]にある太守の要塞を攻撃し、パトナの町を占拠し略奪をほしいままにしたが、ミール・カーシムはすぐさまパトナに軍勢を送り、エリスの工場を焼き払わせ、エリスを降伏させた。