「コムネノス王朝」の版間の差分

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これを受けて、軍事・内政の才能に優れた[[アレクシオス1世コムネノス]]とその子[[ヨハネス2世コムネノス]]、2代の皇帝は果敢に帝国の再建に挑み、周囲の敵を跳ね除け、帝国の威光を取り戻し、およそ100年の間帝国の衰退を食い止めることに成功した。
 
アレクシオスは爵位体系や通貨を改革したほか、軍事奉仕と引き換えに一定の地域の徴税権などを認める[[プロノイア]]制度を導入し、[[{{仮リンク|ドゥーカス王朝|en|Doukas|label=ドゥーカス家]]}}や各地の有力軍事貴族たちと姻戚関係を結んで、コムネノス・ドゥーカス家一門による軍事貴族の連合政権という形で帝国を再編した。こうして国内を安定させると[[ヴェネツィア共和国]]の支援を受けて海軍力を再建し、西欧へ傭兵を要請した。西欧への傭兵派遣依頼は[[十字軍]]という想定外の結果を生んで対応に苦慮することになった。その他にセルジューク朝から小アジア西部を奪回し、[[クマン人]]の援軍を得てペチェネグ人を打ち破った。
 
===「善良なるヨハネス」===
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|[[東ローマ帝国]]
|1081年 - 1185年
|[[{{仮リンク|ドゥーカス|en|Doukas|label=ドゥーカス王朝]]}}
|[[アンゲロス王朝]]
}}