「アンリ・ルソー」の版間の差分

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ルソーは税関に22年ほど勤務した後、絵に専念するため[[1893年]]には退職して、早々と年金生活に入っている。税関退職前の作品としては『カーニバルの夜』([[1886年]])などがあるが、『戦争』([[1894年]])、『[[眠るジプシー女]]』([[1897年]])、『蛇使いの女』([[1907年]])などの主要な作品は退職後に描かれている(但し、右の写真はかなり画素が粗く、発色もかなり悪い。実際はよりビビッドな色遣いであり、その点が魅力でもある)。
 
ルソーの作品は、画家の生前は[[ギヨーム・アポリネール|アポリネール]]、[[ポール・ゴーギャン|ゴーギャン]]、[[パブロ・ピカソ|ピカソ]]など少数の理解者によって評価されたのみであった。ルソーの年譜に必ず登場するエピソードとして、[[1908年]]、ピカソ、アポリネールらが中心となって、パリの[[洗濯船|「洗濯船」(バトー・ラヴォワール)]]で「アンリ・ルソーの夕べ」という会を開いたことが挙げられる。これは、からかい半分の会だったとも言われるが、多くの[[画家]]や[[詩人]]がルソーを囲んで集まり、彼を称える詩が披露されたのだった。
 
[[日本]]でも早くからその作風は紹介され、[[藤田嗣治]]、[[岡鹿之助]]、[[加山又造]]など多くの画家に影響を与えた。
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