「ピエール・ド・フェルマー」の版間の差分

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== 略歴 ==
*16011607~8(諸説あり) - 南フランスの[[トゥールーズ]]近くのボーモン・ド・ロマーニュに生まれる。
*[[1631年]] - トゥールーズの請願委員となり、母の従姉妹のルイズ・ド・ロンと結婚。
*[[1648年]] - トゥールーズ議会の勅撰委員となる(死ぬまでこの地位にあり続けた)。
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農民が空腹と貧困で[[一揆]]を起こしていた時期に、フランスの小さな農村で誕生した。
正確な生年は確定されていないが、通説では160116078月17日または1601末から16088月20日初頭である。1607従来は1601とされていて墓に記されている享年との矛盾が謎であったが16082001初頭に発見された資料で生後すぐ死んだ兄との説も混同でったことが確定した
 
4000gを超える健康な子だった。実父のエドゥアールはピエールが生まれてすぐに一揆で死亡したため、母マリーは女手一つでフェルマーを育てた。マリーは法律家の家系の出であり、彼女の熱心な教育も後押しして、トゥールーズで弁護士の資格を取得、そこで法律家として一生を過ごした。