「把瑠都凱斗」の版間の差分

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2012年9月場所初日、[[魁聖一郎|魁聖]]との取組で土俵際把瑠都の上手投げに魁聖が手をつき、把瑠都の足が俵内に残っていたにも拘わらず、行事軍配は魁聖の寄りを有利に挙げ、しかも審判団5人全員からも[[物言い]]がつかず、不運にも黒星とされてしまう(取組直後のビデオ再生で、NHK解説者の[[北の富士勝昭|北の富士]]が「これは明らかな誤審ですよ」と指摘する程だった)。把瑠都本人も「相手の手が先についてたのに。体勢は確かに悪かったけど…」と納得のいかないコメントを出している。土俵下で見ていた鏡山審判部長(元関脇・[[多賀竜昇司|多賀竜]])は「把瑠都の体は半分出ていたし、流れは完全に魁聖。ビデオを見ながらならば(物言いの)手を挙げられるが…」と言い訳するも、この直後視聴者から相撲協会へ抗議の意見が殺到した。2日目の[[碧山亘右|碧山]]戦は勝利するも、翌3日目の[[臥牙丸勝|臥牙丸]]戦では土俵際把瑠都の上手投げに軍配が挙がったが、物言いの末[[取り直し]]に。その相撲では臥牙丸に寄り切られ1勝2敗に。この取組で場所前から痛めていた右足の怪我が悪化、右足親指剥離骨折により全治1か月の診断が下され、4日目から途中休場(把瑠都の途中休場は当時平幕の2007年9月場所以来7月場所以来)。これで2009年7月場所から続いた幕内連続勝ち越しは18場所でストップ(同4日目に琴奨菊、6日目からは[[琴欧洲勝紀|琴欧洲]]も休場を表明し6大関の内3人が途中休場)。
 
2012年11月場所は初の大関[[角番]]となった。初日の魁聖戦は[[送り出し]]で下したが、2日目の[[松鳳山裕也|松鳳山]]戦で[[掬い投げ]]で敗れた際、左太腿を痛めてしまう。翌3日目、左太腿裏肉離れで全治3週間の診断により途中休場([[豪栄道豪太郎|豪栄道]]戦は[[不戦敗]])。再出場の意志9日目無い休場し大関で2場所連続負け越しによりが決定、大関在位15場所目で次場所関脇への[[陥落]]が決定的となしてしまった(大関陥落者は2009年11月場所の千代大海以来3年ぶり)<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2012/11/13/kiji/K20121113004545500.html カド番大関把瑠都が休場 関脇降格へ 左太腿裏の肉離れ]スポニチアネックス 2012年11月13日閲覧</ref>。なお翌[[2013年]]1月場所、関脇の地位で10勝以上挙げれば1場所で大関特例復帰とな予定事がる。
 
== エピソード ==