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[[ファイル:Edward Gibbon by Henry Walton cleaned.jpg|thumb|200px|エドワード・ギボン]]
'''エドワード・ギボン'''
父親は若かりし頃の彼が信仰をローマ[[カトリック教会|カトリック]]教会へ傾けかけた時、不安に思った。その頃のオックスフォード大学では宗教論争が激しく、イギリスで紳士階級の人間がカトリックへ改宗するというのは18世紀の当時、人生においてとてつもない意味を持っていた。紳士階級社会の多くからは排斥されるであろうし、また昇進が望めるような門は閉ざされる、ということである。それを恐れた父親は息子を大学から追い出し、彼を[[スイス]]の[[ローザンヌ]]に住む[[プロテスタント]]の牧師であり個人教授も行っていたパヴィリアード(M. Pavilliard)の元へ送った。彼がローザンヌで受けた教育は終世、彼に大きな影響力を持った。彼は覚え書きにこう書いている。「我が教育の成したものがなんであろうと、それらは私をローザンヌへ追いやった幸運な追放のたまものである。……''(英語版からの訳より)''
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==関連項目==
{{wikiquote|エドワード・ギボン}}
[[Image:Statue_of_the_goddess_Pax_(Pavlovsk_Garden,_St_Petersburg,_Russia).jpg|thumb|150px|パークスの石像]]
*[[パクス・ロマーナ]]
== 脚注 ==
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