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'''ヴィルヘルミーネ・ルイーゼ・フォン・バーデン'''(Wilhelmine Luise von Baden, [[1788年]][[9月10日]] - [[1836年]][[1月27日]])は、[[ヘッセンの統治者一覧|ヘッセン大公]][[ルートヴィヒ2世 (ヘッセン大公)|ルートヴィヒ2世]]の妃。
 
[[バーデン大公]]子[[カール・ルートヴィヒ・フォン・バーデン|カール・ルートヴィヒ]]と妃[[アマーリエ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット]]の末娘として、[[カールスルーエ]]で生まれた。姉に[[バイエルン王国|バイエルン]]王妃[[カロリーネ・フォン・バーデン|カロリーネ]]、[[ロシア帝国|ロシア]]皇后[[エリザヴェータ・アレクセーエヴナ]]、[[スウェーデン]]王妃[[フリーデリケ・フォン・バーデン|フリーデリケ]]、兄にバーデン大公[[カール (バーデン大公)|カール]]らがいる。
 
[[1804年]]6月、従兄にあたるルートヴィヒ2世と結婚し、7子を生んだ。そのうちエリーザベト以下4人の父親はルートヴィヒ2世ではなく、ヴィルヘルミーネの愛人アウグスト・フォン・セナークレンス・ド・クランシーだと言われている。
 
*ルートヴィヒ(1806年 - 1877年) - バーデヘッセン大公[[ルートヴィヒ3世 (ヘッセン大公)|ルートヴィヒ3世]]
*[[カール・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット|カール]](1809年 - 1877年)
*エリーザベト(1821年 - 1826年)