「伊達政宗」の版間の差分

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== 人物・逸話 ==
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=== 「独眼竜」の由来 ===
[[独眼竜]]は、元々[[唐]]の[[李克用]]のあだ名で、江戸時代の[[頼山陽]]の漢詩によって政宗にあてられるようになった<ref>小林清治「政宗の「独眼竜」と虎哉宗乙」、『伊達政宗の研究』所収。吉川弘文館、2008年。</ref>。右目を失った原因は天然痘であった。政宗が隻眼の行者・満海上人の生まれ変わりであるという逸話は、政宗の存命中から広く知れ渡っており、東北地方の昔話の中には「仙台様(政宗のこと)の霊力で母親の病気を治してもらうために旅に出る農民の話」などが伝わっている。(東北放送ラジオ「みちのくむかしばなし」で語られた)
 
=== 処世など ===
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[[衆道]]関係においては、[[小姓]]の只野作十郎([[只野勝吉|只野伊賀勝吉]])へ宛てた書状が残されている<ref>ちなみに作十郎と政宗の側室勝女姫は実の姉弟(いずれも[[多田吉広]]の子)である。</ref>。同じく衆道の関係にあった[[片倉景綱]]の息子[[片倉重長|重綱]]に対しても、[[大坂の役|大坂の陣]]出陣の前夜、翌日の先陣を願った重綱に、「そのほうに御先鋒仰せ付けられず候て、誰に仰せ付けられるべきや」と言って重綱の頬に接吻した、との記述が『片倉代々記』に残っている。
 
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