「ギュンター・マロイダ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m r2.7.3) (ロボットによる 追加: ru:Малойда, Гюнтер
編集の要約なし
1行目:
[[Image:Bundesarchiv Bild 183-1989-1113-031, Berlin, 11. Volkskammertagung.jpg|right|thumb|200px|ギュンター・マロイダ (左)。右は自由民主党の[[マンフレート・ゲルラッハ]]。1989年11月13日、マロイダを議長に選出した人民議会当日の写真]]
'''ギュンター・マロイダ'''({{lang-de|Günther Maleuda}}、[[1931年]][[1月20日]]-[[2012年]][[7月18日]])は、[[ドイツ]]の[[政治家]]。[[ドイツ民主共和国]](東ドイツ)で[[1989年]][[11月]]の[[ベルリンの壁崩壊]]の直後から翌年[[3月]]の[[ドイツ民主共和国人民議会1990年選挙|東ドイツ初の(そして最後の)自由選挙]]まで[[人民議会 (東ドイツ)|人民議会]][[議長]]を務めた。
 
==経歴==
17行目:
 
===ドイツ再統一後の政治活動===
[[1990年]]のうちに民主農民党は[[ドイツ再統一|再統一されたドイツ]]の[[与党]]たる[[保守政党]]・[[ドイツキリスト教民主同盟]](CDU)に吸収されたが、マロイダはCDUへの入党を拒んだ。そして[[ドイツ連邦議会1994年選挙]]において、[[無所属]]ながらも旧東ドイツを代表する[[左翼]][[政党]]の[[民主社会党_(ドイツ)|民主社会党]](PDS、[[社会主義統一党]]の後継政党)の[[メクレンブルク=フォアポンメルン州]]の[[政党名簿比例代表|名簿]]に登載されて立候補し当選<ref>「[http://www.nytimes.com/1994/10/19/world/germany-s-ex-communists-promise-to-behave-in-parliament.html?pagewanted=1|[[ニューヨーク・タイムズ]]」1994年10月19日付。ただし、この記事ではマロイダを "former president of the rubber-stamp East German parliament" としているが、マロイダが人民議会議長に就任していた時期は前述の通りベルリンの壁崩壊の後であり、「無批判」「形骸的」といったニュアンスが強い "rubber-stamp" という表現は正確ではない。]</ref>、[[ドイツ連邦議会|連邦議会]]([[下院]]に相当)の議員となり、[[1998年]]まで務めた。この間、民主社会党の[[農業]]分野の[[顧問]]であった。その後、[[2000年]]には[[ヨハネス・ラウ]][[連邦大統領 (ドイツ)|大統領]]の[[政党]]の[[政治資金]]に関する委員会の[[相談役]]となった。ベルリン近郊のベルナウにて死去
 
==脚注==
30行目:
[[Category:ドイツの政治家]]
[[Category:1931年生]]
[[Category:存命人物2012年没]]
 
[[de:Günther Maleuda]]