「おふくろさん騒動」の版間の差分

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川内の激怒に森は笑みを浮かべながら、最初「歌いだしの部分(の追加について)は事務所(当時所属していた渡辺プロダクション)がやってくれていると思っていた」と弁解していた(冒頭の歌詞改変部分は'''保富作詞、猪俣作曲'''であり、さらに'''渡辺プロダクションの全面的な賛成の元に実施'''されたものである)が、'''「あの歌は“森進一のおふくろさん”」'''、'''「(自分が主導していたのではなく当時の所属事務所が主導していたのに自分が)謝る理由がわからない」'''と発言し、川内の主張に異を唱えた。
 
これを受けて、さらに川内は激高。'''「人間失格だ!」'''とまで言い放ってしまう。これを受けて森は、川内に直接謝罪するために[[青森県]][[八戸市]]にある川内の自宅に出向くが、当時川内は[[東京]]にいたため会えずじまいであった。森は川内邸に[[虎屋|とらや]]の[[羊羹]]と手紙を置いたが、川内は'''「三文芝居」'''と大憤慨し、品物を森の事務所に送り返してしまった。川内はもう森とは生涯二度と逢わないとを宣言、余計にこじれる結果となってしまった。川内が「三文芝居」と憤慨したのは、森がマスコミに対しては川内宅に謝罪に訪れることを事前に通知し、取材陣を引き連れて訪問したことが原因である。
 
川内は、森が渡辺プロダクションの意に反して独立し、全[[民間放送|民放]]で出演ができなくなった際に「せめて紅白だけでも」とNHKに出演できるように取りはからってくれるなど、森と渡辺プロの手打ちにも奔走してくれた大恩人でもあった。また川内も唐突に森を非難したわけではなく、既に10年前に歌詞の改変は自分の意思に反することを森には伝えており、その時に森は歌詞改変をやめることを承諾していた、と川内は主張している。
 
そのため川内の怒りは相当なもので、森の「謝罪」を退けた件を問いただす記者にはそれまで機嫌よく回答していた態度を急変させ、「三文芝居の片棒を担ぐお前らの質問には答えない」などとあからさまに不快感を示し、電話取材を勝手に打ち切ってしまうなどの行為も見られた。また川内は[[月光仮面]]のテーマとして'''「憎むな、殺すな、赦しましょう」'''としていたが、この一件以降に小説版の再版が行われた際は'''「憎むな、殺すな、真贋'''(まこと)'''糺'''(ただ)'''すべし」'''と改めている<ref>川内康範『おふくろさんよ 語り継ぎたい日本人のこころ』、[[2007年]][[12月20日]] [[マガジンハウス]]刊 ISBN 9784838718306</ref>。
 
同じく作詞家の[[なかにし礼]]は、こうした川内の一連の対応について絶賛していた。[[日本作曲家協会]]会長(当時)の[[遠藤実]]は、「川内兄貴はあたたかい人。その先生を怒らせたのは、出発点をこじらせた」と森を非難した<ref>{{cite news |title=【芸能ニュース舞台裏】遠藤実氏「森進一がこじらせた」 |publisher=ZAKZAK |date=2007-03-12 |url=http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_03/g2007031218.html |accessdate=2012-04-04}}</ref>。
 
結局川内と森は和解することが出来ないまま、[[2008年]](平成20年)[[4月6日]]に川内が逝去したため、両者の対話は完全に断絶されることとなった。
 
=== 法律的観点 ===