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[[管弦楽曲]]「海 ''The Sea'' 」([[1911年]])や[[チェロ協奏曲]]「祈り ''Oration'' 」([[1930年]])、児童向け[[オペラ]]「[[クリスマス・ローズ]] ''The Christmas Rose'' 」([[1929年]]完成、[[1932年]]初演)といった大作があるものの、今日では[[室内楽]]の作曲家として高く評価されている。
 
初期作品では、恩師スタンフォードや[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]、[[カミーユ・サン=サーンス|サン=サーンス]]らの影響のもとに、後期[[ロマン派音楽]]の流れに沿って作風を繰り広げたが、[[第一次世界大戦]]に打撃を受けたことを機に次第に調性の浮遊した作品が増え、後期作品では、たとえば[[新ウィーン楽派]]に影響された「弦楽四重奏曲 第3番」([[1926年]])や「同 第4番」([[1937年]])のように、[[和声]]的に見て急進的で、非常に個性的になっている。ヴィオラ奏者として、[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]や[[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]]の[[弦楽四重奏曲]]のイギリス初演にもかかわった経験から、これらの作品(とりわけ和声法)にも影響されている。戦死した親友[[アーネスト・ファーラー]]を偲んで作曲された「[[ピアノソナタ|ピアノ・ソナタ]]」([[1922年]]~[[1925年|25年]])や、「小川の枝垂れ柳 ''There is a willow grows aslant a brook'' 」([[1927年]])では、たとえば[[ハ短調]]の主和音と[[ニ長調]]のそれを組み合わせたような、[[合成和音]]の鋭い響きへの好みが認められ(「ブリッジ和音」)、結果的に[[アレクサンドル・スクリャービン|スクリャービン]]の後期や[[ニコライ・ロスラヴェッツ|ロスラヴェッツ]]の初期の作風に似ている。有名な「ピアノ三重奏曲 第2番」([[無調]]、[[1929年]])は、同時期の[[カロル・シマノフスキ|シマノフスキ]]の作品に似て、聴き手を眠りに誘なうような、静かでゆっくりとした、中東風の楽章から始まる。左手のためのピアノ曲集「3つの即興 Three Improvisations」(1919年)は、[[舘野泉]]の舞台復帰の契機となった作品として有名になった。
 
==主要作品一覧==