「野間左衛」の版間の差分

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== 来歴 ==
[[1883年]]([[明治]]16年)[[9月16日]]、[[徳島県]]に生まれる。[[徳島師範学校]]卒業後、地元の徳島県で[[小学校]]教員([[訓導]])となる。[[1907年]](明治40年)、[[野間清治]]と結婚して上京。
 
[[1909年]](明治42年)4月に長男・[[野間恒|恒]]を[[出産]]する。同年11月、大日本雄弁会(現・講談社)の創立にあたり、夫の清治を助け「創業の母」と呼ばれた。
 
[[1910年]](明治43年)11月次男・康清を出産するが、翌[[1911年]](明治44年)に亡くしている。
 
[[1938年]]([[昭和]]13年)2月、恒は[[子爵]][[町尻量基]]の長女・登喜子と結婚するが、同年[[10月16日]]に清治が、[[11月7日]]に恒が急逝したため、講談社第3代社長に就任する。
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== 参考文献 ==
* 『講談社 日本人名大辞典』 講談社、2001年12月、ISBN 40621084964-06-210849-6
 
== 関連書籍 ==
* 『しのぶ草―野間左衛追悼録』 野間左衛追悼録編纂会、1957年
 
== 外部リンク ==
* {{Kotobank|野間左衛|2=デジタル版 日本人名大辞典+Plus}}
 
 
{{先代次代|[[講談社]]社長|第3代([[1938年]] - [[1945年]])|[[野間恒]]|[[野間省一]]}}
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